栗林公園は、香川県高松市に所在し、特別名勝に指定された回遊式大名庭園。

栗林公園を散策する

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    栗林公園(りつりんこうえん)は、香川県高松市に所在し、国の特別名勝に指定された回遊式大名庭園(日本庭園)である。県立の都市公園(歴史公園)として運営されている。紫雲山の東麓に所在し、紫雲山を背景に、6つの池と13の築山を配し、400年近い歴史を有する大名庭園である。すぐれた地割と石組を有し、木石の雅趣に富んでいるとされている。面積は約75haで文化財庭園では、国内最大の広さである。文化財庭園としてのカエデ・ツツジ・約1000本の手入れマツなどに加え、都市公園としてのウメ・サクラ・ハス・ショウブ・ハギなどが創出する四季折々の景観は、「一歩一景」とされている。本園は、南庭と北庭で構成される。南庭は江戸時代初期の大名庭園の姿を今日に伝える。北庭は檜御殿が建ち鴨場であったが、大正時代初期に近代庭園のスタイルを取り入れた宮内省の市川之雄の設計で改修の後、一部を改変して今日に至る。本園の前身の「栗林荘」は、高松藩主の松平家11代の国もとの下屋敷として、228年間使用された。1745年(延享2年)第5代藩主頼恭が「名所60景」を撰名し、作庭が完成したとされる。「名所60景」は、南庭に46景と北庭に4景の、50景が現存する。南庭の「小普陀」の石組は、室町時代の作庭とされている。江戸時代初期に讃岐国を治めた生駒氏の分限帳で、「栗林」の呼称が確認できる。大名庭園としての本格的な整備は、生駒氏の改易後の、高松藩初代藩主の松平頼重の入部以降とされている。第3代藩主頼豊は御殿や茶屋などを充実させた。第5代藩主頼恭は薬園を設ける等、作庭に努めた。平賀源内は初代薬園頭として2年間勤める。第2代藩主頼常は泉の池の浚渫を行い、近辺数か村の灌漑用水に使用した。園内には3種類の気象庁の標本木がある。北梅林のウメ・讃岐民芸館前のサクラ(ソメイヨシノ)・楓岸のカエデである。高松地方気象台の「開花・満開・紅葉」の宣言は、これらの標本木に基づく。栗林公園には様々な大きな池があり、庭園部分の約2割を占めていて、これらは互いにつながっている。水源は紫雲山の地下水も多少あるが、おもに公園の南東隅にある「吹上」(ふきあげ)と呼ばれる場所で湧き出ていて、短く浅い小川となって池にそそいでいる。高松市のおもな河川である香東川は現在紫雲山の西を流れているが、往時この川の本流は紫雲山の東の栗林公園のある場所から中央通り(国道11号・国道32号)を通り、玉藻公園(高松城址)の脇で瀬戸内海へそそいでいて、江戸時代の改築で本流を現在のように変えたあとも、伏流水が栗林公園で湧き出ている。現在は近くにある二つの井戸の水も使われているとも、往時はこの水源の小川で「曲水の宴」を行なったともいわれる。

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