JR難波駅は、大阪府大阪市浪速区湊町一丁目にある、JR西日本の駅。


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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    JR難波駅(ジェイアールなんばえき)は、大阪府大阪市浪速区湊町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)関西本線の駅である。駅番号はJR-Q17。同線の終着駅で、「大和路線」の愛称区間に含まれている。大阪ミナミの繁華街に含まれる難波に位置し、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の難波駅、近畿日本鉄道(近鉄)・阪神電気鉄道(阪神)の大阪難波駅にも近接している。南海電気鉄道(南海)の難波駅、Osaka Metroの日本橋駅ともなんばウォーク(地下街)を介して結ばれているが、ある程度距離がある。難波の繁華街からは外れた場所に位置している。かつては関西本線の始発駅として、東京・名古屋・伊勢方面の優等列車が当駅始発で運転されていたが、東海道新幹線や東海道本線経由の優等列車および近鉄特急と競合した結果、1973年に全廃された。以後、当駅発着の列車で加茂駅より先に直通する列車の設定はない。さらに、関西国際空港開業により当駅が関西空港方面への始発駅として関空快速が発着していたが、2008年にすべて大阪駅発着に変更され廃止された。しかし、空港アクセス改善を目指して当駅と北梅田駅(仮称)を結ぶなにわ筋線が2031年度に開業予定であり、以降は関西空港とを結ぶ列車が再び経由することになる。駅開業の1889年から1994年まで湊町駅(みなとまちえき)と称しており、道頓堀川八丁のひとつである道頓堀湊町(駅開業時は大阪市南区湊町)に開業したことによる。ただし、当時の湊町の範囲は道頓堀川に面した狭小なもので、西成郡難波村(のち大阪市に編入され、難波東円手町)にもまたがっていた(現在の湊町の範囲は1980年に拡大されたものである)。1989年の駅移転によって、元来の湊町から完全に離れて難波側にのみ位置するようになり、地下駅化して私鉄・地下鉄の難波駅と連絡する計画もあったため、1994年9月4日の関西国際空港開港と同日にJR難波駅に改称された。なお、正式駅名として「JR」を冠したのはJRグループ各社を通して初めてで、駅名にアルファベットが入ったのも日本では初めてである。これ以降、JR西日本の近畿エリアの新駅・駅名改称に際して、駅名に「JR」を冠したものが登場するようになった。1996年(平成8年)3月に地下化される前は地上駅で、櫛形ホームを設置していた。ホームの表示は2・3・5・6番線(のちに2・3・4・5番線、さらに1・2・4・5番線、そして0・1・2・3・4番線に変更)となっていて、欠番となっている番号は蒸気機関車付け替えのための機回し線にあてられていた(のちに撤去)。国鉄時代は、急行「かすが」は2番線、夜行寝台急行「大和」は3番線から発車していた。西側に貨車入換用の線路が広がり、駅操車場内の南端には蒸気機関車の転車台が設けられていた(現在は振興局詰所)。また、道頓堀川から入堀が開削されていた。南側には留置線が広がり、夜間滞泊の車両が留置されていた。駅には町の東西を結ぶ歩行者用の跨線橋(地元の人は「たかばし」と呼んでいた)がかけられていた。駅の東側の跨線橋上り口付近には、駅職員のための厚生施設(理髪室、浴場)も設けられており、地元の人も利用できた。また、車両が通行できる踏切は駅南側にあり、それも貨車入換線を横切る長さ50 m近い踏切だったため、時々「開かずの踏切」となっていた。地元では降車時に、北端の改札まで行かずに車掌に切符を渡し、ホームの南端から跨線橋下の通用門を通って出るようなこともあった。

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