高槻市は、大阪府の北摂三島地域に位置する市。

京都市内中心部から岡山へ戻るためにJRに乗るときは京都駅から乗ることはない。在来線オンリーと行きたいところだが、姫路~岡山間が利便性が著しく良くないせいで、やむなく新幹線を使う場合でも姫路か新神戸からが多い。時間が惜しい場合でも京都からではなく新大阪から乗ることにしている。そのほうが安いうえに自由席での着席率が高い(絶対座れる)もんでね。新大阪に向かうには高槻で阪急からJRに乗り換え移動するのが定番の裏技。


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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    高槻市(たかつきし)は、大阪府の北摂三島地域に位置する市。中核市に指定されている。京都市と大阪市との中間に位置し、二大都市のベッドタウンとして発展している。市章も、大阪市と京都市の市章を融合させたデザインとなっている。高槻藩時代には内藤家、土岐家、松平家、岡部家藩主が変わり、徳川将軍家と近しい譜代大名の直清流永井家が幕末まで222年間藩主を治めることになる。平地では工業地帯が広がり、山間部では農業が盛んである。「高槻」の地名の由来は、2つの説がある。『古事記』や『日本書紀』にある神武東征の時に、大和で長髄彦一族に苦しめられた。そこで道臣命と可美真手命を東征軍の長に任じ、征伐に成功したことから天皇は三島の土地を与えた。その軍隊の旗印が月をかたどっていたので、褒美に貰った土地を「高月」と呼ぶようになったという説。安満庄にあった天月弓杜(あめのつきゆみのやしろ)が高月読杜(たかのつきよみのやしろ)とも呼ばれ、そこからその一帯は「高月」と呼ばれたという説。「高月」が「高槻」に転じた理由は、槻(欅の古称)の大木があり、戦国時代に槻の近くに本陣が立てられたことから、月を槻に変えたとされる。大阪府の北東部に位置し、東西10.4km・南北22.7kmと、市域は東西に狭く、南北に広い。北端を北摂連山・南端を淀川で区切られ、地勢は北高南低になっている。市内最高標高はポンポン山の678.7m、最低標高は柱本の淀川河川敷で3.3m。北部は北摂山系になり、主な山には、ポンポン山、三好山(みよしやま)、黒柄岳(くろがらだけ)、明神ヶ岳(みょうじんがだけ)、高ヶ尾山(たかおさん)、阿武山(あぶやま)がある。主な川には、南東から市の南端に沿って流れる淀川をはじめ、北から南へ市内中央部を流れる芥川や、女瀬川(にょぜがわ)、桧尾川など12の一級河川があり、新川など5つの準用河川がある。JR京都線と阪急京都本線を中心に市内中央部から周辺部へと市街地が拡がっている。北部は大半が山間地で、南部は大阪平野北部を形成する三島平野の低地が広がる。北から、700m以下の山間部、山地に囲まれた田能盆地や原盆地、服部谷、成合谷等の農村部、高槻丘陵や奈佐原丘陵といった丘陵地に広がる日吉台、安岡寺、南平台、奈佐原等の住宅地、歴史的な街なみが残る標高10 – 30m程の富田台地と続き、大阪平野を形成する標高10m以下の沖積低地が広がる。市内には国道170号線と国道171号線が走り、丘陵部を東西に名神高速道路が貫通している。市北部には新名神高速道路の高槻インターチェンジがある。

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