新世界は、大阪府大阪市浪速区恵美須東に位置する繁華街。

新世界にいますだ  ひとおおいいい

天王寺公園

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    新世界(しんせかい)は、大阪府大阪市浪速区恵美須東に位置する繁華街。中央やや北寄りに通天閣が建ち、南東部にジャンジャン横丁がある。当時1897年(明治30年)に大阪市へ編入される以前は西成郡今宮村の一部で、畑地や荒地が広がっていた。市街化のきっかけとなったのが、1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会で、東に隣接する旧東成郡天王寺村の一部とともに会場敷地となった。「内国」とあるが、国内外からの最新技術が披露された点では「万博」に近いものがあり、博覧会は5ヶ月間で入場者530万人という大盛況の内に幕を閉じた。博覧会に合わせて日本橋筋の3丁目以南(現在のでんでんタウン)が整備された。会場の西縁には既に1885年(明治18年)12月に南海鉄道(現・南海本線)が、南縁には1889年(明治22年)5月に大阪鉄道(初代。関西鉄道を経て現・JR関西本線)が通じていたが、会期中は南海鉄道が今宮戎駅南側に「博覧会会場門」駅を、関西鉄道が天王寺駅西側に「博覧会」駅をそれぞれ開設。来場者の利便性を図った(博覧会終了後は両駅とも廃止)。1907年(明治40年)には片岡直輝ら大阪財界有志が恵美須町から浜寺までの鉄道敷設を申請。1910年に「阪堺電気軌道」(旧)が設立され、翌1911年に恵美須町から市之町までが開業した。大阪財界は恵美須町がターミナル駅として発展することを見越して、博覧会跡地を一大娯楽センターとする計画を立案する。1908年(明治41年)には博覧会跡地北西角の恵美須交差点から大阪市電南北線が難波を経由して梅田まで開通している。博覧会跡地は日露戦争中に陸軍が使用したのち、1909年(明治42年)に東側の約5万坪が大阪市によって天王寺公園となった。西側の約2万8千坪は大阪財界出資の大阪土地建物会社に払い下げられ、1912年(明治45年)7月3日、「大阪の新名所」というふれこみで「新世界」が誕生。通天閣とルナパークが開業した。開発当初は「新巴里」「第二千日」と仮称されていたが、開業の際、「新世界」と改められた。1911年に開業した阪堺電気軌道は、難波に拠点を置く南海鉄道と路線が競合することになった。ターミナルの立地面で不利な阪堺は、新世界を集客施設と位置づけ、その運営に深く関わっていく。南海は1914年、「ミナミの大火」で壊滅的な被害を受けた千日前に「楽天地」を開設し、対抗した。新世界のコンセプトは、現在の「テーマパーク」に似ており、パリとニューヨークという欧米を代表する二大都市の風景を模倣しながら、最新の文化や風俗を輸入・融合させる試みを行った。

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