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高瀬川に沿って四条から五条
風情ある建物がいっぱい残っているから歩いてて飽きないのよね

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。 開削から大正9年(1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。名称はこの水運に用いる「高瀬舟」にちなんでいる。現在は鴨川によって京都側と伏見側に分断されており、上流側を高瀬川(普通河川高瀬川)、下流側を東高瀬川(一級河川東高瀬川)、新高瀬川と呼ぶ。京都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺には先斗町があり京都の歓楽街の一つとなっており、また桜の名所ともなっている。また、かつては多くの舟入、船回し(回転場所)があったが、今は一之舟入を残すのみである。東高瀬川の上中流部では、運河当時の川幅(約3間、約5.4m)がよく残されている。高瀬川は、二条大橋の南で鴨川西岸を併走する「みそそぎ川」(鴨川の分流(堤外水路)で、東一条付近で鴨川から取水)から取水する。二条から木屋町通沿いの西側を南下し、十条通の上流で一級河川鴨川に合流する。かつて、京都と伏見を結ぶ運河であった頃は、現在の鴨川合流点のやや上流側で鴨川を東へ横断したのち、一部区間で竹田街道と並行、濠川と合流し伏見港を経て宇治川に合流していた。現在、鴨川以南は東高瀬川と呼ばれ、上記高瀬川や鴨川とはつながっておらず、流域を持つ一級河川となっている。また、疏水放水路と合流して直接宇治川に流れ出ており、濠川とは合流していない(東高瀬川において、宇治川に直接つなげるために整備された部分を新高瀬川と呼ぶこともある)。現在は、二条から五条にかけて並行する木屋町通に飲食店が多く立地する。木屋町通周辺、特に三条から四条あたりにかけては先斗町があり京都の歓楽街の一つとなっており、週末は夜遅くまで賑わっている。 また、幕末の事変を示す石碑が多く、桜の名所ともなり観光客も多い。高瀬川と高瀬舟は、森鷗外、吉川英治をはじめ、小説の題材にもしばしば登場する。

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