紀伊御坊駅脇のほんまち広場603に保存展示されている、キハ600形603号。

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words=’2009年に引退した紀州鉄道キハ603でございます。紀伊御坊駅すぐそばの線路脇に造られた「ほんまち広場603」で保存展示されているのでございます。元は大分交通耶馬渓線を走った車両なのだそうです。1960年に製造された車両なんですね。拙者が小学校に入学する頃ですなw’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    1960年新潟鐵工所製。元大分交通耶馬渓線の車両で、同線が廃止された1975年に同社から譲り受けた。正面2枚窓・両運転台の18 m級車体だが、側窓がいわゆるバス窓でその下に補強帯(ウインドウシル)を残すこと、DMH17Bエンジン(160 PS)搭載、小断面車体など、国鉄キハ10系気動車の影響が強く見られ、近年では珍しくなった古典的気動車として鉄道ファンから人気を集めていた。液体式変速機を搭載するが、新造当初から総括制御が不可能な仕様で、紀州鉄道転入後もそのままであった。座席はボックスシートと、車端部のロングシートとのセミクロスシート。床は油引きの板張り、室内灯は白熱灯、エンジンの排気ガスは屋上ではなく床下で排気するなど、随所に古典的な構造を残す。また、現在の気動車とは異なり、右手でマスコン、左手でブレーキを操作する。形式・車番から塗色や車番、接客設備に至るまで大分交通時代の内容をそのまま踏襲しているが、前面窓は譲受の十数年後にHゴム固定からアルミサッシ化され、天地寸法が小さくなるとともに四隅にあった丸みがなくなり、また前照灯が尾灯の位置に増設されたため、印象が変わっている。また、駆動軸を持つボギー台車は、粘着力を稼ぐ目的で、台車の中心が駆動軸側にオフセットした偏心台車と呼ばれる珍しいものである。かつては2両とも運行に使われていたが、冷房がなく車齢が高いことからキテツ1形導入後は主力の地位を退き、キハ603のみが主に金曜日から日曜日および祝日に運行していた。キハ604はキハ603の部品確保用で、扱い上は予備車だが燃料噴射ポンプなどの主要部品が取り外されているため運行に入ることはできず、キハ603が定期検査中にキテツ1に車両故障が発生した際も運行されることはなかった(この場合は列車の運行自体を中止する)。キハ604については2010年12月に解体された。製造から50年近く経ち老朽化が進んでおり、上述のキテツ2を導入したため、キハ603は2009年10月25日に定期運行を終了した。定期運行最終日には、前面に地元有志が製作した特製ヘッドマークが装着された。定期運行終了後の2009年11月29日、御坊商工会議所主催の商工祭の一環としてキハ603のさよなら運転が行われた。その後、キハ603については、営業運転復活を視野に車籍は抹消せず休車扱いとしていたが、2012年6月1日付をもって除籍された。なお、2011年ごろにイベントのために西御坊寄りの前面を譲渡直後に近い姿に復元する工事をうけ、前後で顔の印象が違うようになった。除籍後は紀伊御坊駅の側線に保管され、解体の話も出ていたが、御坊市の本町商店街振興組合が譲り受け、2017年11月に紀伊御坊駅にほど近い本町商店街にある空き地にレールを敷き移設された。キハ603にはたこ焼き屋と軽食屋が入居し、車両が置かれた広場は「キハ603広場(仮称)」として2017年12月16日にオープンした。2018年1月、広場の名称は公募により「ほんまち広場603」に決まった。

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