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DoraNeko

油小路正面にあります本願寺伝道院でございます。真宗信徒生命保険株式会社本館として建てられた2階建の煉瓦造建築でございます。現在は浄土真宗本願寺派僧侶の教育研修に使用される施設となっております。この和洋のみならずインド風デザインも組み合わさった建築様式は印度佛教式意匠とも呼ばれるものでございます。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    本願寺伝道院(ほんがんじでんどういん)は、京都市下京区玉本町に位置する、浄土真宗本願寺派僧侶の研修・教育を目的とする施設である。1912年(明治45年)に真宗信徒生命保険株式会社本館として建造された施設であり、伊東忠太の初期の代表作としても知られている。2階建(一部3階建・地下1階建)の煉瓦造建築である。外壁に煉瓦色の化粧タイルを張り、花崗岩の白帯をめぐらせており、全体の様式としてはクイーン・アン様式(英語版)である。しかし、その意匠は折衷的であり、インド風の玄関上部ドームと六角塔屋、中国風の高欄などが配される。さらに、柱には日本建築風の組物が載せられるほか、入り口の上には飛鳥様式風の人字形割束がペディメント風に設けられている。倉方俊輔は、同建築の窓の形は花頭窓のようでもあり、インド・イスラーム建築風にもみえると評価している。こうした建築様式は当時の西本願寺の建築にしばしば見られるものであり、長谷川尚人はこれを「印度佛教式」意匠と総称している。長谷川によれば、西本願寺系建築における折衷的な意匠は、1875年(明治8年)の光尊寺にすでにその端緒がみられるものであり、真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院)と二楽荘(後述)は、インド風の意匠が主題としてあらわれる初期の例であるとする。社屋と別邸という同建築の性質が、比較的自由な意匠を認めるものであったことがその理由であるが、昭和初期には「印度佛教式」意匠は神戸別院・上海別院・光徳寺・築地別院など、積極的に建造されるようになった。当初の真宗信徒生命保険株式会社社屋には本館のほか、附属屋・倉庫2棟・物置・人力車置場・便所・屋根伝い廊下が備えられていたものの、附属施設については1972年(昭和47年)に取り壊され、現存するのは本館のみである。

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