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DoraNeko
嵐山でございます。渡月橋を境に上流が大堰川、下流が桂川と呼ばれますが、近年の地図何かでは桂川と表記されるようになっておりますですな。渡月橋の少し上流に一ノ井堰があって、上流はボート乗り場になっております。保津川下りの着船場にもなっております。吾輩なんぞは、カネのないガキの頃の恰好の遊び場でございましたんですよね。今では行けなくなってしまっていますが、ここから川沿いに清滝川と合流する落合橋あたりまで行ける通路というか獣道みたいなのがあって、途中の岩場なんぞで泳いだりしていました。勿論のこと、現在では遊泳禁止でございますので出来ませんが。懐かしいですな~。
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Wikipediaから引用
嵐山(あらしやま)は、京都市西部にある標高382メートルの山。また、大堰川(おおいがわ)を挟んで西側の松尾山・嵐山・烏ヶ岳の嵐山三山と、東側の小倉山・亀山、さらにはその麓を含んだ地域を一般的に嵐山と称し、山麓は多数の寺社が立地する観光名所でもある。 近くには嵯峨嵐山駅があり、この辺り一体が嵯峨野と呼ばれる事も多い。 また、近くのトロッコ嵐山駅からは嵯峨野トロッコが出ており、保津峡などを眺めながら、乗る事ができる。嵐山は桜や紅葉の名所である。日本さくら名所100選並びに日本紅葉の名所100選に選定されている。京都の代表的な観光地で嵐山の中心部を流れる桂川にかかる渡月橋は嵐山の象徴になっている。なお渡月橋をはさんで上流が大堰川(おおいがわ)、下流から桂川と呼称が変わる。JR山陰線の北側には嵯峨野と呼ばれる観光地が広がっている。嵐山には13世紀末に亀山上皇が吉野からサクラ数百株を移植したとされ、その後も夢窓国師によって吉野からヤマザクラ数千本が移植されるなどサクラやマツの植栽が行われた。嵐山の戸難瀬(となせ)の滝(音無滝)があり、滝の上流には蔵王権現堂がある。この蔵王権現は15世紀の金春禅鳳作の能『嵐山』にも登場する。嵐山山麓に広がっていた森の多くは天龍寺領で明治時代の社寺上知令により官有地に編入され、のちに嵐山国有林となった。1927年(昭和2年)には史跡名勝「嵐山峡」に指定され、1930年(昭和5年)には風致地区に指定された。1980年代には渡月橋の北側を中心にタレントショップが急増し、修学旅行生など若い観光客で賑わう一方で、雰囲気が破壊されるとの批判もあった。バブル崩壊後はこうしたタレントショップは減少し、現在はほとんど存在しない。1990年代以降、小規模な博物館の開館が相次ぎ、2004年(平成16年)には温泉が掘削された(嵐山温泉)。観光シーズンになると渋滞が激しく道路交通が麻痺してしまうため、乗用車の乗り入れ規制や、郊外に格安または無料の駐車場を整備しそこからバスで運ぶパーク・アンド・ライドの実験が行われた。大堰川の上流の保津川の流域では林業が盛んであり、かつては伐採した木材を京都の街に運ぶために川が使われた。嵐山はその終着点であり、現在では同じコースを遊覧船で下る「保津川下り」が亀岡市から体験できる。