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岡崎公園のシンボル、平安神宮大鳥居でございます。1928年(昭和3年)に昭和天皇御大礼の記念事業として建てられたもので、明神型の鳥居と言われるものでございます。この神宮道を使ってよくパレードが行われるんですが、大鳥居や平安神宮の朱の色合いと、京都橘高校吹奏楽部のユニフォームがよくマッチしているのでございます。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    平安神宮大鳥居(へいあんじんぐうおおとりい)は、京都府京都市左京区の平安神宮の応天門から約300メートル南の神宮道に所在する、高さ24m、幅18mの大鳥居である。1928年(昭和3年)に昭和天皇御大礼の記念事業として、大鳥居建設計画を開始。工事顧問には京都帝国大学教授の武田五一、設計および工事監督は京都府技師阪谷良之進が就任した。鳥居建設費は3万100円。地鎮祭は6月1日に着手し、10月6日に工事完了。1929年(昭和4年)4月10日に竣工奉告祭が執り行われた。1960年(昭和35年)大鳥居に屋根改修工事、塗装の塗替え工事が行われた。2002年(平成14年)8月21日付で国の登録有形文化財に登録された。平安神宮に見合う大きな鳥居を石材や木材で建造するのは困難であったため、神宮の完成後、30年余り鳥居がない状態が続いていた。鳥居の建造が課題となっていたが、1928年(昭和3年)に昭和天皇の即位式が行われるという慶事を前に平安神宮に鳥居を建設する話が本格化し、建築技術の進歩により、鉄骨鉄筋コンクリートで鳥居を建造することになった。大鳥居の建設が決まり、寄付金の募集など準備が開始され、平安講社臨時事業部が設置された。平安神宮は、平安時代の大内裏の建物をモデルとして、他の神社建築とは異なっている。そのため、鳥居の様式を決めることはなかなか難しかった。そこで事業部は、全国各地の百あまりの神社の鳥居について調査を行い、研究を重ねた。結果、荘重かつ端正な印象を与える明神型の鳥居を採用した。大鳥居の建設場所についても検討を重ね、神宮の建造物にふさわしい大きな鳥居を建てる必要があり、平安神宮の建物とのバランスから、二条通北では神宮に近過ぎると考えられた。琵琶湖疏水の流れに沿う風致がよい慶流橋のたもとがふさわしいと考えられ、また、当時の京都市電停留所の近くであり、市電を利用して平安神宮に参拝する人たちにとって、下車後すぐに鳥居を目にする効果も期待できるとして、現在の場所に建築が決定された。

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