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京都の清滝、秘境じゃなくてw 愛宕神社の表参道、愛宕登山道表玄関・・・ってもさ 小学生の頃のハイキングとか、中学生の頃に夏に泳ぎに来るような場所だったんだよね。当時でも既に賑わっていなかったけど今は更に秘境感がそこはかとなく醸し出されているし、ここに到達する直前のトンネルに至っては「心霊スポット」としてもてはやされていたりするような場所になってしまっている。でもそのトンネルを含めた嵐山付近から続く「清滝道」は廃線跡なんだよな。このあたりは紅葉の名所であるので、中学生の頃これより下の鳥居本付近で自転車の俺たちに「紅葉狩りしに着たんですけど、受付はどこですか?」なんて聞いたマヌケ(失礼)な女性が居てさ。友達が咄嗟の悪戯で「この下を右に曲がったところにある交番がそうです」とか言ったりしたのでバカウケした覚えもアルのだ。 戦争中に不要不急路線指定を受けて廃止されたケーブルカーともども、残っていればデカイ観光資源になったんだろうにねえ。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    清滝(きよたき,英語: Kiyotaki)は、京都市右京区嵯峨清滝地区を指す地名。愛宕山の東南側山麓に位置し、清滝川谷あいの山中の集落を中心とした地区である。平安時代に開山した愛宕山で修行する修験者の登山口であり、愛宕山岳信仰の修行者や僧坊に奉仕する者が住み着いたのが、集落の起源である。江戸時代に入り、愛宕山の勝軍地蔵信仰が全国の大名や武士の間に広まり、その参詣道にあたる清滝には大名に供奉する人が住居を構えた。そして、大勢の参詣者が集まる宿場町に成長し、旅籠や茶屋が軒を連ね現在の集落の原形となった。京都では数少ない納涼避暑地として、松尾芭蕉や与謝野晶子などもこの地に逗留し詩を詠んだ。昭和初期には嵐山から愛宕山鉄道が開通し、ホテルや遊園地、スキー場も開設されるなど最先端のレジャー地域として大いに栄えたが、第二次世界大戦時に不要不急線として鉄道路線が廃線となり、観光スタイルも変化したことや愛宕山信仰参詣登山者も減ったため訪れる人も減り、集落も寂れていった。現在は、東海自然歩道の一部である京都一周トレイルや、愛宕山登山に向かうハイカーが京都市内中心部からのバスを下車する中継地点として、主に休日を中心として賑わっている。95%以上が山間部である。居住地は金鈴橋から猿渡橋までの間の500mの清滝川の両岸のみである。

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