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梅小路蒸気機関車館に移築され、京都鉄道博物館としてリニューアルオープンした際にはミュージアムショップに改装されて保存利用されております、旧二条駅舎です。ワタクシが子供の頃の山陰本線は単線非電化。地上を走っており、嵐電はその上を高架でオーバークロス、四条通は踏切でした。その少し北側から二条駅手前までは築堤になっていて、途中一か所にとても低いガードがありました。このあたり二条駅西側から三条通南側まで貨物ヤードもありましたし、旅客列車より貨物列車のほうが多く運行されてた記憶がありますね。前述の「低いガード」なんですが、だいたいからして、子供の頃のワタクシたちの恰好の遊び場だったんですよね。小学校中学年から高学年にかかる頃の話です。列車がガードを通過するときに、頭の上を列車が通過するのを直下の桁とかにぶら下がってスリルを楽しむ、なんて馬鹿なことをして遊んでおりました。頭上まじかを通過していく様々な列車はSLから次第にディーゼル機関車がけん引する客車列車、そしてディーゼルカーへと変遷していくんですが、ときおり頭上から飛沫のような水滴というか液体を被ることがあったんです。遊んでいたときはそんなこと気にも掛けなかったんですが。あるとき客として滅多に利用したことがなかった山陰本線の列車に乗る機会があったんですね、当時としては珍しく。その列車はディーゼル機関車がけん引する客車列車でした。珍しく乗ったのであちこち見て回ります、当然。そして、トイレを見てみると、ね・・・下が見えるんですよ。いわゆるタレ流しってやつですやん、これ。ちょうどその頃にぶら下がってスリルを楽しむ遊びをしていたガードに差し掛かって、思わず「うそやんっ!」と声に出してしまいましたよ。ついでに、ぶら下がっていたとき手に付着した液状固形物の感触まで記憶に蘇ったり、トホホ。

wikipedia
JR二条駅の地上駅時代にあった木造駅舎は、荘厳な社寺を彷彿とさせる造りや貴賓室も設置された立派な駅舎として全国的に知られていた。建築当時は京都鉄道の本社を兼ねており、建築家の伊東忠太によって手掛けられたものである。京都鉄道社長田中源太郎によれば、当初はレンガ造りの計画だったが、二条城に近いので景観に配慮して和風建築に改めることにし、日本鉄道(東北本線)宇都宮駅の駅舎が優美であったため同社に問い合わせを行い模範としたという。二条駅 – 花園駅間の高架化事業に伴う仮線の設置に支障するため1990年10月に木造駅舎の建物を東側に15メートル移動させる曳家工事が行われ、約300トンの建物を2日間かけて移動させた。その後、高架化工事中の仮駅舎として使用が続けられたが1996年、高架化工事および新駅舎の完成に伴って駅舎としての役割を終えた。明治期の和風駅舎建築として唯一の残存例であり、京都の近代化を象徴する建物でもあることから1996年4月1日、京都市指定有形文化財に指定され、幅を縮小して梅小路蒸気機関車館に移築されている。後に梅小路蒸気機関車館が改装・拡張され京都鉄道博物館としてオープンを果たした際には、ミュージアムショップに改装されている。

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