今では「響け! ユーフォニアム」の聖地、だそうで。

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DoraNeko

この朝霧通りつまり宇治川右岸の通り並びに、宇治公園あたりを語る場合、今では小説及びアニメの「響け! ユーフォニアム」の舞台、すなわち聖地であることを話題にする方が通りが良いってことになっちゃってるらしいですな。作中の舞台は宇治で、登場する学校の「立華高校」のモデルは「京都橘高校」、ということは今では「京都橘高校吹奏楽部」の大ファンで、リンク集まで作ってしまっているワタクシは当然詳しく知っているのでございます、エッヘン。←いや、知ったのはローズパレードの後です。つまり一昨年のことです。今の人々に、昔はこの先に「おとぎ電車」が走ってた、とか言っても理解不能でしょうからね、「響け! ユーフォニアム」の聖地、の方がかっこいいっすもんね。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    おとぎ電車(おとぎでんしゃ)は、1950年代、京都府の宇治川沿いに観光目的で運行された遊覧鉄道である。元は発電所建設の資材運搬用に建設された専用鉄道であった。地方鉄道法や軌道法に基づく鉄道事業ではなく、遊戯施設として認可を受けて運行していた。1920年(大正9年)に、宇治川電気による宇治川沿いへの大峯ダム(堰堤)建設に際して、資材運搬用のトロッコが奈良線からダム建設現場までの9.6kmに敷設され、電気機関車で運行された。軌間は610mm、直流600Vで電化された本格的なものであった。1924年(大正13年)にダムと志津川発電所が完成した後も、ダムと発電所の間の3.6kmは従業員や資材の運搬用に残されていた。戦後になって、この路線を観光用に活用することが立案される。宇治川には「宇治川ライン」と呼ばれる観光船が1926年(大正15年)より宇治川汽船により就航(1975年(昭和50年)廃止、会社解散)していたが、観光船は堰堤よりも宇治寄りには運行することができず、そこまでのアクセスが問題となっていた。このため、早くからこの専用鉄道の転用案が出ていたという。遊覧鉄道に転用するに当たり、地方鉄道法や軌道法といった運輸事業目的の鉄道として事業申請をおこなう場合、手続きが煩雑になる上、法定対応のために必要なコストや租税額が大きいことが判明する。そこで、これを児童福祉法に基づく遊戯物(遊園地などと同じ扱い)とすることでこれらの問題を回避することとなった。この方針に沿って必要な設備の整備が行われ、1950年(昭和25年)10月11日に路線は「おとぎ電車」として開業した。おとぎ列車は人気を集め、行楽シーズンの休日には乗り場に乗車を待つ観光客の列ができるほどであった。台風被害によって、防災の観点から大峯ダムに代わる新たな多目的ダム(天ヶ瀬ダム)を建設する計画が浮上する。これによりおとぎ電車の線路はほぼ水没することになり、1960年(昭和35年)5月31日を最後に、10年間の運行の幕を閉じた。

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