一部は、さわらびの道とも称される朝霧通り。

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橋寺放生院とありますが、橋寺の由来は宇治川に架かる宇治橋をかつて管理していたことによるのだそうで。この朝霧橋に向かう朝霧通りは近年、途中で二股で分かれる宇治上神社や源氏物語ミュージアムににに向かう道を含めて「さわらびの道」と呼ばれるようになったのだそうで。ワタクシはこのあたりの思い出と言えば「おとぎ電車」乗り場に向かう道、という概念が今も残ってたりするんですよね。いつの話やねん、それ。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    放生院(ほうじょういん)は、日本の近畿地方、京都府宇治市宇治(近世においては山城国宇治郡宇治郷内)にある真言律宗の仏教寺院。寺号は常光寺(じょうこうじ)、山号は雨宝山(うほうざん)。通称の橋寺(はしでら)の由来は、近くの宇治川に架かる宇治橋をかつて当寺が管理していたことによる。本尊は地蔵菩薩立像。寺伝によれば、推古天皇11年(603年)、聖徳太子の命を受けた秦河勝が宇治橋を架けた折、当寺も開創されたという。ただし、境内にある宇治橋断碑の碑文によれば、宇治橋は元興寺の僧・道登によって大化2年(646年)に架けられたという。鎌倉時代後期の弘安4年(1281年)、勝宝山西大寺(南都西大寺)の再興などで知られる僧・叡尊によって、当寺も再興された(『感身学生記』)。文明11年(1479年)兵火に遭い室町幕府の援助などにより復興されたが、江戸時代の寛永8年(1631年)にも火災に遭い、焼失した。

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