住道駅南口すぐ前に墓地があるんですけどね。

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words=’近代的な高架駅、住道駅の南口側はロータリー、そこにはバス乗り場がございまして、更には大きな公園・末広公園でございます。が、駅建物の通路を挟んですぐの所が墓地になっております。駅前の一等地ですけどね。今はともかく鉄道敷設の最盛期の頃、つまり電化されていない昔には蒸気機関車がけん引する列車とかだったせいもあり市街地を避けてなるべく辺鄙な農村地帯とかを選んで敷設するなんてケースが多かったりも致しますし、脇に墓地があること自体はあり得る話でございます。不思議でも何でもありません。でもね、これってGooglemapに乗っていないんですよ~。あれれ?と思って色々ググってみたりもしましたが、情報が見当たりません。そのことが不思議で仕方ないんですよ。確かに写真には墓地が写っておりますもんね。気になって気になって、おちおち寝られません、昼間は。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    住道駅(すみのどうえき)は、大阪府大東市住道二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線(学研都市線)の駅である。片町線の全列車が停車する主要駅の一つである。島式ホーム2面4線を有する高架駅である。1996年に京橋寄りに1両分延伸し、8両編成の列車に対応している。上屋は、延伸部分(8両編成1号車部分)を除く7両分(7両編成通常停車位置)に設置されている。ホームは3階、改札は2階にある。駅北側に寝屋川・恩智川が平行して流れており、駅正面の合流点でそれを覆うように2階部分にデッキが設けられ、その上に北口の駅前広場がある構造となっている。また、南口は1階に出口があり、以前は狭い道が面していたが、2006年にロータリーが完成し、バス路線が乗り入れるようになった。1989年3月3日に複線高架化ののち、1990年3月10日に2面4線を供用開始し、同日のダイヤ改正により20分サイクルから16分サイクルになる平日夕方の緩急接続(快速と各駅停車の乗り継ぎ)が行われるようになった。緩急接続する場合は、内側の2・3番のりば(それぞれ下り本線・上り本線)に快速・区間快速、外側の1・4番のりば(それぞれ下り待避線・上り待避線)に普通電車が停車する。緩急接続がない場合は種別を問わず2・3番のりばへの停車となる。駅構内(1-2階)にはショッピングセンター「ALBi住道」(アルビすみのどう)が入居している。かつては「ギャレ住道」という名で、1階は当初ファッションショップが中心だったが、2005年11月にリニューアルオープンし、パントリー住道店をメインテナントとするデパ地下風の食品フロアとなり、さらに2012年5月に再リニューアルされ、現在の「ALBi」となった。地上駅の時代は、貨物取扱駅として2面6線の線路があり、貨物専用線・上り線・通過線・下り線2本・貨物専用線があった。旧駅舎から一番離れた線路は付近にあった鐘紡住道工場への引込み線であった。なお当時は片町駅 – 当駅間の区間運行があった。住道駅の貨物取扱廃止によって島式による仮設の1面2線の線路に改められた。1975年11月25日に国鉄片町線住道駅付近立体交差化事業が計画決定され、1976年3月13日事業認可が下る。これにより、事業主体が大阪府、鉄道工事を国鉄が行うこととなり、上下線とも一旦北側に仮線を設け、先に完成していた住道駅前大橋に続く駅前デッキ上に設けられた仮駅舎で営業し、仮設プラットホームまで仮設連絡通路で結ばれていた。下り本線の高架橋の完成前に国鉄の財政難などにより長期にわたり工事が中止され、しばらく放置されていた。工事再開後、1986年ごろに下り線路が高架へ切換られ、以降1989年3月まで暫定的に上り(四条畷方面行き)が旧仮設プラットホームの地平式、下り(放出方面行き)は高架線路を使用していた。

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