大阪市北区中之島にある大阪市中央公会堂は、国の重要文化財。

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words=’中之島をブラついております。なにわ橋駅そばにございます、大阪市中央公会堂でございます。岡田信一郎デザイン、実施設計は辰野金吾と片岡安という豪華な顔ぶれで建築された建物でございます。国の重要文化財でございます。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    大阪市中央公会堂(おおさかしちゅうおうこうかいどう)は、大阪市北区中之島にある集会施設。国の重要文化財。大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は、1911年(明治44年)、株式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円(父親の遺産50万円に自分の手持ち財産を加えたもの。現在の価値で数十億円)を寄付したことにより、1911年8月に財団法人公会堂建設事務所が設立され、建設計画が始まった。「北浜の風雲児」と呼ばれていた株式仲買人・相場師の岩本栄之助は渋沢栄一が団長となった1909年(明治42年)の渡米実業団に参加し、アメリカ大都市の公共施設の立派さやアメリカの富豪たちによる慈善事業・寄付の習慣に強い感銘を受けた。帰国後、岩本栄之助は父の遺産と自分の私財を併せた100万円を地元の公共施設建設に寄付することを決めた。当時、大阪の中之島は、蔵屋敷の廃止後、町が衰退しその後の町の将来ビジョンをどうすべきか検討中であったので、岩本の寄付金はその町の中心シンボルとして「中央公会堂」の建設に使われることに決まった。なお、「中央公会堂」の所在地は浜田藩の蔵屋敷跡になる。設計デザインは、「懸賞付き建築設計競技」(最終的に13名が参加)により、当時29歳だった岡田信一郎のデザイン案が1位に選ばれ、その岡田のデザイン原案に基づいて、辰野金吾・片岡安が実施設計を行った。辰野金吾は東京駅の建築家でも知られる。

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