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DoraNeko

烏丸通に面したオフィスビル、北阪ビルディングの1階に保存されている京都市交通局狭軌1形電車の28号車でございます。烏丸通からガラス越しに眺めることが出来ます。室内にあるので状態はよろしいですな。手入れもされているようです。ビルの中にも入ることは可能らしいですが、早朝時間帯のためそれは叶いませんでしたので外から眺めるだけに留まっております。北野線で廃止まで活躍していた車両のようですな。8号は博物館明治村で動態保存されており、27号は梅小路公園で動態保存されております。いずれも有料で乗車可能ですな。吾輩が通った幼稚園にも遊具の様に扱われていた車両があり、それは今でも現存しております。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    京都市交通局狭軌1形電車(きょうとしこうつうきょくきょうき1がたでんしゃ)は、 かつて京都市(京都市交通局)が運営していた路面電車・京都市電で使用されていた電車。日本最初の電車事業者であった京都電気鉄道(京電)の車両が、1918年の市による買収によって引き継がれたものである。京都市によって建設された路線が標準軌であるのに対し、京電由来の狭軌(3フィート6インチ軌間)用で、1961年に廃止された堀川線(北野線)が最後の運用路線であった。梅鉢鉄工所製で、台車はブリル21-Eを1基装備した単車である。オープンデッキの運転台兼乗降口を前後に備え、当時は正面に窓を持たない吹きさらしであった。後に正面には窓ガラスと方向幕を持つ幕板が設置されているが、側面扉は堀川線廃止に至るまで設置されなかった。京電の買収当時は133両を引き継いだ。1955年までは広軌1形との重複を避けるため、車体番号に「N」をつけて区別され(「N電」という通称はこれに由来)、N1 – N133となった。1919年に33両を売却。1925年までに39両が売却された。以後狭軌路線の廃止や改軌により次第に数を減らして堀川線廃止前年には28両が残っていた。この28両は1955年に改番を行い、1 – 28に番号が付け直されている(すでに広軌1形が全廃された後だったため、それまで番号の前に付いていた「N」は省略された)。堀川線廃止4か月前の1961年の3月末に6両が廃車となり、廃止に伴う7月の最終運行まで残ったのは22両だった。

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