銀座ライオン四条烏丸店(京都市)

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DoraNeko

いつのころからかビールが大好きで、晩酌に必ずビールが必要なカラダになってしまった吾輩でございます。おかげで腹がえらいことになってるんですがw で、ビアホールでのディナーがとても楽しみなのでございまして、2週連続でこの銀座ライオン四条烏丸店に来ております。京都では他に京都タワーの裏っかわ、元は丸物だったヨドバシカメラのところにあるヱビスバーもお気に入りなんですが、実はここと共にサッポロビールなんですな。キリンシティも好きなんですが、岡山にはこのようなビアホールがないのでね~。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    ビアホール(英: beer hall, 独: Bierpalast,ビヤホールとも)は、ビールをテーマとした飲食店である。日本では1897年(明治30年)7月20日、大阪市北区中之島の大江橋南詰に大阪麦酒株式会社(現在のアサヒビール)によって、「氷室生ビール」と洋食をメニューにした本格的なビヤホール「アサヒ軒」が開かれたのが最初。その2年後の1899年(明治32年)8月4日、東京府京橋区南金六町5番地(現在の東京都中央区銀座8丁目)に、日本麦酒醸造株式会社(現在のサッポロビール)が「恵比寿ビヤホール」を開きれ、初めて「ビヤホール」の名称が使われた。これを記念して8月4日は「ビヤホールの日」とされた。同店では、ビール500mlが10銭で飲めたという記録がある。ここが大繁盛したため、洋風なモダン建築の「ミルクホール」(接客業の性格が強い「カフェー」よりも安価で大衆的な喫茶店)などが次々に作られるようになった。なお、日本最初の半屋外型のビアホールとしては、1875年(明治8年)に横浜市山手で「スプリング・バレー・ブルワリー」(現在の麒麟麦酒)の創始者であるウィリアム・コープランドが、醸造工場隣接の自宅を改装して開いた「スプリング・バレー・ビヤ・ガーデン」である。主に外国人居留者と外国船の船員向けであった。現在では一般的となった、工場で出来立てのビールを提供する飲食店「工場内ビアレストラン(ビール園やブルワリー内ビアホール)」のルーツとも言える。

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