眼科・外科医療器具歴史博物館(京都市)

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DoraNeko

正面通を鴨川に向かって歩いていると、ふと目に留まった看板が。奥沢眼科診療所と掲げられた民家に、別に「眼科・外科医療器具歴史博物館」の看板があるではありませんか。気になって調べましたら、ちょっと古めのホームページを発見、そこには下記の如く記されていたのでした。

今日、眼科や一般診療に用いられる医療器械は、医師、技術者、企業三者の研究により、驚くべき発展を遂げております。特に昭和50年代以降、医療器械のコンピューター化は急速に進行し、手術用、治療面における利用には目を見張るものがあります。開業医家や、各大学、地方病院の診療の中で使われた、これらの器械を目の前にしますと、今日の医療器械の原点が見え、それは眼科、外科学や診断学の発展に大きく寄与した生証として見ることが出来ます。 先人の医師や技術者達が苦労し、努力した結果考察した素晴らしい器械の改良型が、今日尚多くの医師達に使用されていますが、古くなると直ぐ廃棄処分となり、特に明治・大正時代の診断用器械になると、現存するものは非常に少なく、治療を目的とした医療用消耗用具等は、もはや実物を見るのも極めて困難です。 このたび奥沢眼科・竹岡外科は、両家に保存されていた江戸時代からの医家道具に加え、20数年来より多くの大学、個人の先生方より寄付して頂いた器械を展示し、昔の診療室を復元し、展示ケースには代表的な診断器機、手術器械、処置治療用具の歴史に大別し、陳列致しました。ドイツにも同じようなコレクションがありますが、このように、京都の古い町医家で一般公開されるのは初めてでしょう。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    正面通(しょうめんどおり)は京都市の東西の通りの一つ。大和大路通の方広寺から千本通まで。渉成園(枳殻邸)、東本願寺、西本願寺などで中断する。渉成園と不明門通の間では中珠数屋町通とも呼ばれる。正面通の名称は、方広寺大仏殿(京の大仏)の正面につながる通りであることに由来する。最東端部、豊国神社への参道にあたる大和大路通から本町通までの間およそ100mは、歩道と中央分離帯の整備された広い通りとなっている。ただし車通りはかなり少ない。それ以外の区間は対面通行は可能であるが道幅は狭い。

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