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DoraNeko
よしもと祇園花月が入居しているビル、祇園会館の北側にある喫茶店のCOLORADOでございます。玄関部に古いネオンサインであることをわざわざ示す標記がされております。ネオンサインって今ではLED全盛ですが、まだまだ現役のものも沢山あるんでしょうな~。味がありますな。
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コメント一覧 (1件)
Wikipediaから引用
ネオンサイン(neon sign)とはネオン管などを使用した看板や広告などであり、単にネオンともいう。主に、都市部の人通りや交通量の多い大規模駅周辺や幹線道路沿いのビルの屋上や外壁に設置される。ネオン電球はフランスの化学者ジョルジュ・クロードが、空気を液化する産業用システムを構築した際に、廃棄物として生成されるネオンの用途を模索する中で発明された。クロードは、ネオンの他にもアルゴンやクリプトンなどの希ガスに電気を通すと白熱電球よりも5倍以上明るく、様々な色に発光することを発見し、特許を取得して1915年に電飾のフランチャイズ企業「クロードネオン社」を設立した)。 1912年にパリ万国博覧会で公開されたのが最初(ただの理容店だったとの説あり)とされる。 クロードはネオン電球の効果を公開するため、ディスプレイ装置をグラン・パレの前に設置し、多くの需要を得てヨーロッパやアメリカにビジネスを展開した。1920年代のアメリカのユタ州で看板業を営んでいたトマス・ヤングは、希ガスを封入したガラス管で文字を書くことを思いつき、クロードネオン社の許諾を得てネオン管のベンチャー企業ヤング・エレクトリック・サイン・カンパニー(YESCO)を設立した。YESCOは、当時は無名な田舎町に過ぎなかったラスベガスの大半のネオンサインをデザインし、世界中の都市景観に影響を与えた。日本国内での最初の設置は谷沢カバン店(東京都中央区銀座/現タニザワビル“銀座タニザワ”本店・1918年?)、白木屋大阪支店(大阪市中央区備後町/現第二野村ビルディング・1925年?)、日比谷公園(東京都千代田区・1926年?)と諸説ある。21世紀になると、ネオン同様の多色と自由設計が可能で扱いやすいLEDが登場したことで置き換えられていったが、文化的価値を評価する声も多く、ラスベガスにはネオン博物館が開業している。