串カツ@大阪満マル岡山駅前店

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DoraNeko

久々に岡山での外食ディナー、岡山駅前で食す大阪名物串カツでございます。岡山に赴任する前は東京都江戸川区に居りましてね、赴任直前まで大阪名物料理の数々を供する「でんがなまんがな」に通い詰めておりましたのでございます。その頃は始終食べていた大阪式の串カツと、近頃はとんと無縁でございましたが、久し振りに食べたのでございます。勿論のこと愛してやまない生ビールで流し込むのでございます。痩せるなんてことが出来る道理がございませぬ、そこの奥さん(←また始まったわw)。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    串カツ(くしカツ)は、肉や野菜などを串に刺し、衣を付けて油で揚げた日本の料理。地域によって食材や調理法、飲食法や呼称などが異なる場合がある。発祥は不明。同様な調理法の食品は明治末期から東京の下町で食べられていたとの見解がある。高橋北堂『小資本にして一躍成金たる金儲』(1917年(大正6年)、大阪の成々堂書店)「次は即ち牛肉のフライ屋で之は東京では到る處に見受けるが、大阪にては未だ之を見ぬ」「此商売は前にも述べた如く、大阪京都には未だ始めて居るものがない。依っていずれの地にても適するから、関西に於て開始したならば、珍らしくて中々流行すること請合だ」1926年(昭和元年)「二カツ東京屋」創業。創業者、松下義信が大正時代初期に東京から大阪に移住し、屋台を引き始めた。「ええ、とても困りましたよ、二銭の串洋食と云つても、その頃はまだ理解されてゐませんでしたからね。あれは犬の肉だとか、猫の肉だとか云つて食つて呉れなかつたものです。働けど働けど、益々生活は困る一方です。」(東京屋松下義信氏を語る 穐村要作『食通1936年(昭和11年)7月号』)京都には大正時代に「一銭洋食」として伝わる。大阪式の串カツは、1929年(昭和4年)に新世界に開店した「だるま」の女将が、釜ヶ崎の肉体労働者たちのために串に刺した一口サイズの肉を揚げて饗したのが始まりとされる。元々は牛串のみを串かつと呼んでいたが、その後に串揚げ全般を指すようになったという。さらに串かつが大阪名物と言われるようなったのは2000年代以降のことで、2001年に同店の後継者に後輩を送り込んだ赤井英和(俳優・タレント。元プロボクサー)が料理番組などで宣伝に励んだことが大きいという。

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