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上野恩賜公園の竹の台噴水の東側にある野口英世像でございます。傍らの案内板には「野口英世は、明治九年十一月九日、福島県猪苗代湖畔の農家に生まれた。三十一年、北里柴三郎主宰の伝染病研究所助手となり、三十三年十二月に渡米、三十七年よりロックフェラー医学研究所で梅毒スピロヘータ等の研究を重ね、国際的にも高い評価を受けた。大正七年からは中・南米やアフリカに赴き、黄熱病の研究に努めたが、やがて自らも感染してしまい、昭和三年五月二十一日、現在のアフリカ・ガーナ国の首都アクラで没した。享年五十三歳。」と記されております。昭和26年(1951年)に建立されたものだそうでございます。











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Wikipediaから引用
上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)は、東京都台東区にある公園。通称上野公園。上野駅西口(公園口)に位置している。「上野の森」とも呼ばれ、武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」に公園が位置することから「上野の山」とも呼ばれる。面積は約53ヘクタールである。東京都建設局の管轄。公園内には博物館、動物園など、多くの文化施設が存在する。「上野公園」は台東区の町名でもある。東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館、恩賜上野動物園などの文化施設が集中して立地している。また彫刻家高村光雲作の西郷隆盛像があることでも知られる。高台となっている忍ヶ岡は、近世からソメイヨシノの名所としても有名であり、日本さくら名所100選に選定されている。桜の開花時期になると、大勢の花見客が押し寄せることで有名である。また、忍ヶ岡の南に位置する不忍池(しのばずのいけ)は、夏には池の一部を覆い尽くすほどの蓮に覆われ、一面の緑の葉と桃色の蓮の花が美しい。冬には鴨をはじめとした数多くの種類の水鳥が飛来し、とても賑やかになる。江戸時代、三代将軍・徳川家光が江戸城の丑寅(北東)の方角、すなわち鬼門を封じるためにこの地に東叡山寛永寺を建てた。以来、寛永寺は芝の増上寺と並ぶ将軍家の墓所として権勢を誇ったが、戊辰戦争では寛永寺に立て篭った旧幕府軍の彰義隊を新政府軍が包囲殲滅したため(上野戦争)、伽藍は焼失し、一帯は焼け野原と化した。1870年、医学校と病院予定地として上野の山を視察した蘭医アントニウス・ボードウィン(「ボードワン」とも呼ばれる)が、公園として残すよう日本政府に働きかけ、その結果1873年に日本初の公園に指定された。このことをもってボードウィンは、上野公園生みの親と称されている。日本国内でも有数の都市公園で、公園の内外に歴史建築物や文教施設が多数存在しており、一帯が文化・芸術の集合地域を形成している。