できること。

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(岡山〜仙台・新潟行、顛末記・・・備忘録として、記しておく)
12日(土)から「何ができるのか」を模索し始める 各種の団体に呼びかけをしているとのこと
13日(日)夜になって、ニーズを打診していたAMDAから要請があったとの連絡を受ける
ここまでの経過詳細を省くが、土地勘があるので実施の際は同道する旨を伝えておく
ガソリンとLPGの燃料切り替えが可能で航続距離の長いバイフューエル車両のジャンボタクシーを使用

14日(月)

車両の手配は前日の夜中に完了出来ていたので
早朝から出発に向けて準備が始まる
午前11時、AMDA本部に車両と共に到着、積込と取材対応
AMDA(アムダ) – 救える命があればどこへでも
山陽新聞地域ニュース
この時点では東北道通行許可に必要な書類が現地から届いていなかったため
一旦車庫である藤原営業所に戻り、更に追加の支援物資などを補充で積込する
書類が現地から届いたとの連絡を受け、再度AMDA本部へ
午後2時頃、岡山ICから山陽道、名神→新名神→伊勢湾道→東名→首都高速
途中SAでガソリンを補充、これ以後はLPG走行に切り替え、満タンのガソリンを温存
午後10時頃、東京で予定通りLPGを充填
午後11時、東北道浦和料金所にて緊急輸送車両の手続、証明証を交付され、いざ仙台へ
東北道は当然一般車両皆無、通行しているのは緊急車両のみ
SAは緊急輸送車両、特に自衛隊等災害支援車両のために食事・給油共に可能だったが
それも栃木県が北限・・・福島県・宮城県内は断水などのためトイレすら使用不可
白河以北は、路面が被災しており、緊急輸送車両通行の為の最低限の補修のみ行った模様
そのため全区間50km制限である
ところどころ路肩やノリ面が大きく損傷している箇所も見掛けられる
夜明け前に到着は可能だったが、受入態勢に配慮し菅生PAで仮眠し時間調整

15日(火)

午前7時過ぎに仙台宮城ICから市街地を経てAMDAの現地本部に到着
そこは東北福祉大学の正門の直ぐ近所
輸送した物資は、ただちに
安否情報の掲示板と化した正門付近・・・などを見るにつけ目から汗が・・・

前日から電気も水道も回復したとのこと・・・が、勿論節水と節電対応中
余震も幾度となく・・・というより間断なく続き、揺れ続けているかの様子だった
物資の不足は深刻で開店しているスーパーなどの前はどこも長蛇の列が出来ていた
とても寒く、かつ折からの冷たい雨に時折雪が混じり次第に強い降りになるなか
午後1時、岡山へ戻るAMDAスタッフ3名とともに、同じく岡山へ戻るAMDAスタッフ迎えのため
新潟へ向け出発
使い切ったLPG補給は結局出来なかったので以後はガソリンで走行
午後6時過ぎ、新潟駅前にてAMDAスタッフ2名をピックアップ
そのまま一路、北陸道から岡山に向けて進行
営業中のSAでガソリンをこまめに補給しながら
途中の富山県内、有磯海SAで食事を取る

16日(水)

午前3時、AMDA本部に帰着、ミッション完了
走行km 往路約1,200km 復路約1,400km 合計2,600km

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コメント一覧 (4件)

  • お疲れ様でした。
    そのバイタリティーがあれば、当分大丈夫ですな〜( ̄∀ ̄)

  • >>でんまん兄

    バイタリティー?・・・いや、こんなはずでは、なんて感じる事が多々・・・トホホ。
    >>当分大丈夫ですな〜
    どういう意味でっしゃろw

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