DoraNeko 赤いバナーを押していただけると感謝感激雨アラレちゃんです。 京都では、最近いつもこのあたりに潜伏しとりますw 近江屋を住まいとする少し前まで龍馬が居たのが酢屋、京都で龍馬が隠れ家として住んでいたうちのひとつ。三条通からその前に至る路地です。 DoraNeko 赤いバナーを押していただけると感謝感激雨アラレちゃんです。 京都府 レトロ 風景 観光名所 景勝地 街並み 京都市 京都市役所前駅 この記事が気に入ったら フォローしてね! Follow @web_dora よかったらシェアしてね! URLをコピーしました! URLをコピーしました! 3000系@三条駅 刀傷@三条大橋 関連記事 一ノ井堰@嵐山 2024年9月27日 にしん茶蕎麦@大阪屋 2024年10月4日 賀茂別雷神社(京都市) 2013年12月29日 円町駅(JR西日本) 2013年12月15日 チファジャ脇の壁画(京都市) 2015年7月11日 三条大橋(京都市) 2015年12月30日 愛染堂@東福寺 2025年3月29日 清明心の像@御靈神社 2024年10月18日 お気軽にコメントをお寄せください コメント一覧 (1件) 龍馬の隠れ家「酢屋」がある龍馬通 京都の河原町三条を一筋下った通りを「龍馬通」と呼びます。この通りは、龍馬が暗殺される約1ヵ月前くらいまで住んでいた材木屋『酢屋』があるから、「龍馬通」とついたんですね。「龍馬通」という名前がついたのは、2012年頃らしいので、比較的最近ついた名称なんです。「龍馬通」というくらいなので、どのくらい龍馬感があるかというと…普通の通り道で飲食店が並んでいるだけでした。ただ、多少は龍馬を意識したお店もありましたけどね^^;この『酢屋』があるからこそついた龍馬通というんですよねえ^^京都で龍馬が隠れ家として住んでいたとして有名なのは幕府の役人に襲われた伏見の寺田屋と、龍馬が暗殺された河原町の近江屋です。この2つよりは少々マイナーな感じはしますが、実は近江屋を住まいとする少し前まで龍馬が居たのが酢屋なんです!この酢屋は、龍馬が住んでいただけでなく、海援隊の京都の本部をも置いていたんですよ。慶応3(1867)年の6月24日に、龍馬が故郷の乙女姉宛に5mもの長い長い手紙を書いたのも酢屋の2階の部屋だったんです。伏見の寺田屋は、明治時代に建て直されたもののようだし、近江屋は石碑しか残っていないけど、酢屋は、龍馬が居た当時から同じ持ち主が同じ場所でずーーっと営業しているという貴重な建物なんですっ!年月とともに改装はしているので、見た目は新しくなっているけど、龍馬が居た時と同じ建物であることは間違いないです。龍馬が居たといわれる2階の部屋は、一般公開しているので龍馬と同じ空間を体感できますよ^^ 返信 DoraNeko へ返信する コメントをキャンセルコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 Δ
龍馬の隠れ家「酢屋」がある龍馬通 京都の河原町三条を一筋下った通りを「龍馬通」と呼びます。この通りは、龍馬が暗殺される約1ヵ月前くらいまで住んでいた材木屋『酢屋』があるから、「龍馬通」とついたんですね。「龍馬通」という名前がついたのは、2012年頃らしいので、比較的最近ついた名称なんです。「龍馬通」というくらいなので、どのくらい龍馬感があるかというと…普通の通り道で飲食店が並んでいるだけでした。ただ、多少は龍馬を意識したお店もありましたけどね^^;この『酢屋』があるからこそついた龍馬通というんですよねえ^^京都で龍馬が隠れ家として住んでいたとして有名なのは幕府の役人に襲われた伏見の寺田屋と、龍馬が暗殺された河原町の近江屋です。この2つよりは少々マイナーな感じはしますが、実は近江屋を住まいとする少し前まで龍馬が居たのが酢屋なんです!この酢屋は、龍馬が住んでいただけでなく、海援隊の京都の本部をも置いていたんですよ。慶応3(1867)年の6月24日に、龍馬が故郷の乙女姉宛に5mもの長い長い手紙を書いたのも酢屋の2階の部屋だったんです。伏見の寺田屋は、明治時代に建て直されたもののようだし、近江屋は石碑しか残っていないけど、酢屋は、龍馬が居た当時から同じ持ち主が同じ場所でずーーっと営業しているという貴重な建物なんですっ!年月とともに改装はしているので、見た目は新しくなっているけど、龍馬が居た時と同じ建物であることは間違いないです。龍馬が居たといわれる2階の部屋は、一般公開しているので龍馬と同じ空間を体感できますよ^^ 返信
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