日本三大橋のひとつ、瀬田の唐橋でございます。

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旧東海道ですが、今日(こんにち)も大層交通量の多い橋でございます。唐橋とは、中国や朝鮮半島の様式を模した唐様が取り入れられたことにより名付けられたようでございますですな。知らんけど。

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水位観測所も、なかなかの味を醸してくれておりますな。

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太田瓦店さんの、瓦の見事さにしばし見入っておりましたんです。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    瀬田の唐橋(せたのからはし、瀬田唐橋〈せたからはし〉)は、滋賀県大津市瀬田-唐橋町の瀬田川に架かる橋である。全長223.7 m(大橋約172 m、小橋約52 m)で、滋賀県道2号大津能登川長浜線がこの橋を渡る。2015年時点での調査では平日1日あたり1万1955台の交通量がある。京都の宇治橋、山崎橋とならんで日本三大橋(日本三名橋・日本三古橋)の1つとされてきた。また、近江八景の1つ「瀬田の夕照(勢田夕照)」として知られる。1986年(昭和61年)8月10日の道の日には、旧・建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」にも選ばれている。東海道・東山道(中山道)方面から京都へ向かうには、琵琶湖を渡るか南北いずれかに迂回しないかぎり、琵琶湖から流れ出る瀬田川を渡る必要がある。1889年(明治22年)まで、瀬田川に架かる唯一の橋であった瀬田の唐橋は、交通の要衝かつ京都防衛上の重要地であり、古来「唐橋を制する者は天下を制す」といわれた。唐橋を舞台として繰り広げられた壬申の乱、寿永の乱、承久の乱、建武の乱など、橋は昔からさまざまな戦乱に巡り合ってきた。そのため、何度も焼き落されたとされるが、その度に当時の浅瀬の位置に橋が架けられた。また、『日本書紀』など数多くの文献にこの地が登場する。古くより交通の要衝であるだけでなく名所として知られる。最寄りの鉄道駅も唐橋前駅(京阪石山坂本線)と命名されている。

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