五泉市の粟島公園で保存されている蒲原鉄道モハ41。








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words=’1999年(平成11年)に全線廃止となった蒲原鉄道線の古豪モハ41でございます。北五泉駅から程近い粟島公園で保存されているのでございます。保存状態はお世辞にも良いとは申せませぬな。豪雪地域ですからね~大変ですよね~。車両の内部に入ることが出来るようになっておりますが、昨今のコロナな情勢ですので、現在は閉じられております、はい。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    蒲原鉄道線(かんばらてつどうせん)は、かつて蒲原鉄道が運営していた、新潟県加茂市の加茂駅から中蒲原郡村松町(現:五泉市)を経由して五泉市の五泉駅までを結んでいた鉄道路線である。蒲鉄線(かんてつせん)とも称された。1985年(昭和60年)4月に加茂 – 村松間が廃止となり、村松 – 五泉間を結ぶ延長4.2kmの短距離路線として知られていたが、1999年(平成11年)10月に全線が廃止された。路線縮小後の蒲原鉄道線は、五泉 – 村松間に1日26往復(平日)の列車が設定され、朝の通勤・通学時間帯に1往復運行される2両編成の車掌乗務列車を除いて、全列車とも単行列車によるワンマン運転が行われた。閑散区間であった村松 – 加茂間を廃止したことで、一時的に輸送密度・営業係数とも改善した蒲原鉄道線であったが、利用客の自家用車ならびにミニバイクへのシフトは止まらず、年間輸送人員は1990年(平成元年)度・1991年(平成2年)度の2年間のみわずかに微増傾向を示したものの、以降年々減少の一途を辿った。1996年(平成7年)度の輸送密度は860人/日で、路線縮小初年度の1985年(昭和60年)度の1,554人/日と比較して4割以上減少した。加えて同時期には軌道・施設や運行車両の老朽化が深刻な状況となった。特に全車とも主要機器の経年が70年を超過した運行車両については物理的な寿命を迎えつつあり、各種施設の改修ならびに運行車両の早急な代替を実施する必要に迫られた。以上の状況を鑑み、蒲原鉄道は蒲原鉄道線の存続断念ならびにバス転換を決定し、1999年(平成11年)3月31日限りでの路線廃止を沿線自治体である五泉市側に通告した。しかし五泉市は廃止に反対の立場を表明し、合意に至らなかったことから存廃は一旦宙に浮いた状態となった。その後五泉市が廃止を了承、1999年(平成11年)6月に代行バスの概要が決定し、同年9月には運輸省(現・国土交通省)の運輸審議会において蒲原鉄道線の廃止が許可され、同年10月4日付で全線廃止となった。この鉄道線の廃止に伴い、新潟県の鉄道はJR以外は蒲原鉄道廃止から2015年までの間、当時開業して間もなかった第三セクターの北越急行のみとなったが、2015年よりえちごトキめき鉄道が参入して再びJR以外の複数の事業者が運営している。

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