かつて京阪本線が走行していた旧線の廃線跡ガードなんですがね~。

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words=’京阪本線の京橋駅北側広場でございます。京阪京橋駅は1969年(昭和44年)11月30日に現在の位置に高架駅として移転したのでございますが、それまでは現在の北側、グランシャトーの場所にある地上駅でございました。今は廃止された片町駅から長堀鶴見緑地線が通る地上を進み、この大阪環状線のガード下を通っていたのでございます。当時は小学生から中学生のクソガキだった拙者、何度か訪れた当時の旧駅を今でも覚えております。その旧線が走っていた大阪環状線のガード下は現在この様な有様でございますよw まあ京橋らしいっちゃあ、らしいんですがねw’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    京阪は開業当初、当駅を開業時の位置の地名(東成郡鯰江村大字蒲生)から「蒲生駅」と名付けた。これとは別に、京橋(橋梁)の近くに初代「京橋駅」を設置していたが、隣接する天満橋駅と野田橋駅(後に片町駅と改称し、2代目の「京橋駅」に統合して廃止)に近すぎたため開業後、約8ヵ月で廃止されている。その後、1932年に北区(当時)東野田町に移転し、1949年に国鉄への乗り換え駅であることを明確にするため「京橋駅」に改称した。1910年、京阪電気鉄道が天満橋駅 – 五条駅(現在の清水五条駅)間を開業させた際に蒲生駅として設けられたが、当初は城東区蒲生1丁目付近にあった。1932年に旧蒲生信号所 – 守口駅間複々線化に関連して、現在のグランシャトーの場所に移転し、2面2線の相対式ホームが設置された。京都行ホーム北側には、京阪スーパーマーケット京橋店が隣接して設けられていた。列車長の拡大につれてホーム長も京都方に延長された(淀屋橋方ホーム端に踏切が存在したため)が、1969年の再移転直前には京都方ホーム端が急カーブと上り勾配をミックスした形状になっており、列車運転上のネックになっていた。なお、高架駅移転直前の旧線路は寝屋川橋梁から上り2線位置を東に進み、東野田町で現Osaka Metro長堀鶴見緑地線が通る道路へと北東方向に別れ、現京橋公園北東端で東方向に急カーブして、グランシャトー北側道路に進入していた。1969年に現在地へ移転して高架駅になったが、移転当初は上りは2番線のみ、下りは4番線のみ使用されていた。1970年の天満橋駅 – 旧蒲生信号所間複々線化完成によって4線使用されるようになり、同時に駅ビル内に京阪ショッピングモール(現、京阪モール)が開業した。駅ビルには、2002年10月のリニューアル当時「エスポート京橋」の愛称が付け加えられていたが、現在は使用されていない。

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