土肥實平公並婦人像@湯河原駅

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平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、源頼朝と共に石橋山の合戦などにに参戦した土肥郷の豪族、土肥實平さんと奥様の像でございますですな。生涯についての詳細はよく分かっていない人物のようでございます。像の傍には土肥氏館跡碑もございます。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    土肥 実平(どひ さねひら)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。桓武平氏良文流中村宗平の次男。相模土肥氏の祖であり、小早川氏の祖とされる。相模国の有力豪族中村氏の一族で、足下郡(現在の神奈川県足柄下郡湯河原町および真鶴町)土肥郷を本拠とし早川庄預所を務め、父や弟の土屋宗遠と共に相模国南西部において「中村党」と称される有力な武士団を形成していた。現在のJR東海道本線湯河原駅から城願寺の辺りが居館であったと言われている。『曽我物語』によれば、安元2年(1176年)の伊豆奥野の狩場で行われた河津祐泰(曾我兄弟の父)と俣野景久の相撲の判定を巡ってもめた際に、老(おとな・長老)であった実平が仲裁に入ったとされるなど、相模・伊豆の武士社会において重鎮と見做される存在であったとされている。

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