京都コンピュータ学院白河校跡地に残る、京都市電二両。

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words=’銀閣寺に程近い場所でございます。廃校になってしまった京都コンピュータ学院白河校に残された京都市電1801と2603の二両でございます。実質的に放置されたような状態が続き、傷みもかなり激しくなっているようでございますね。この先どうなってしまうんでしょうなあ。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    京都市電(きょうとしでん)は、京都市交通局が運営していた市電(路面電車)である。1895年に京都電気鉄道によって日本最初の一般営業用電気鉄道として開業され、1912年の市営路線開設、1918年の全面市営化を経た後、1978年9月30日限りで全廃された。1969年(昭和44年)、富井清市長の在職時に京都市の新たな交通計画(十文字の地下鉄路線とそれを補完するバス路線網)が可決され、外周線を除く市電の撤去が定められた。この背景には、累積赤字で交通局が財政再建団体に指定され、自治省(当時)からの利子補填などの支援・監督を受けるに当たり、赤字事業の縮小として路面電車の撤去が求められるという事情もあった(これは京都に限らず当時の多くの公営路面電車が直面した)。市民による存続運動も行われたが、市は拒否。1976年(昭和51年)に全面撤去へと計画を変更したのち、地下鉄開業にそなえ1978年(昭和53年)に全面廃止され、83年の歴史に幕を閉じた。市電廃止反対を求める署名は27万人に達したとされる。市電廃止はマスコミに「日本で最初に開業した電車が廃止」などと大きく取り上げられて全国的に報道された。廃止後も全国から京都市交通局に記念乗車券の注文が相次ぎ、1978年(昭和53年)12月で販売終了していたが1979年(昭和54年)4月に販売を再開。同年9月29日までに16万円を売り上げて営業廃止後に運輸収入が発生する事態になり、在庫のあるうちは引き続き販売を継続していた。なお、地下鉄路線網は1969年(昭和44年)当時の計画から40年以上が経過した2010年(平成22年)になってもすべて完成しておらず、交通局の赤字体質も改善されてはいない。市電全盛期には市営バスはこれを補完する役割を担い、御前通や七本松通など裏通りを走る路線も数多く見られたが、かつての市電路線網がバス転換化されると人口のドーナツ化現象も相まってそれらの矮小路線はほとんど廃止されてしまった。

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