京口駅東側にある、空爆の碑でございます。

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words=’播但線京口駅西には川西航空機姫路製作所がございました。戦争末期にB-29爆撃機約60機による二度の空襲があり、川西航空機姫路製作所は壊滅、姫路市街地全域に焼夷弾が降り注いだのでございます。恐ろしいことでございます。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    姫路空襲(ひめじくうしゅう)とは、大東亜戦争末期の1945年6月22日と7月3日深夜から7月4日未明にかけて兵庫県姫路市が受けた2度の空襲のこと。1945年6月22日9時50分ごろ、B-29爆撃機約60機が飛来し、播但線京口駅西にあった川西航空機姫路製作所を中心に約1時間爆撃を続けた。爆撃の目的地である製作所は全壊したほか、周辺の民家や道路、上下水道なども甚大な被害を受けた。製作所にいた徴用や学徒動員、社員など多くの従業員や周辺住民を含めた人的被害は、死者341人、被災者10220人。1945年7月3日16時23分(日本時間)、マリアナ諸島のグアム・サイパン・テニアンの3島4基地から、徳島・高松・高知、そして姫路への爆撃のため501機のB-29が出撃し、硫黄島を経由して、それぞれの都市へと向かった。同日深夜から翌未明にかけての約2時間、姫路市街地全域に焼夷弾が降り注いだ。火の手は姫路駅前から上がり、順次周辺へと拡大、町は火の海と化し、総戸数の40%が焼失。飾磨でも一部が被災した。死者173人、重軽傷者160人余、全焼家屋約1万300戸、被災者45182人。姫路城は天守に命中した焼夷弾が発火せずに焼失を免れ、その姿に勇気づけられた被災者もいたようである。

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