子守唄の里高屋駅高架下にある、中国地方の子守唄顕彰碑と像。




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words=’子守唄の里高屋駅の高架下に、顕彰碑と像がございますんですがね。昭和の初めにですな、元々この地のみならず中国地方の広範囲で民謡として伝わっていた子守歌の旋律を、この高屋出身の声楽家の上野耐之という人が山田耕筰さんに教えて、山田耕筰さんが編曲した楽曲が流行つまりヒットした訳ですな。それがこの「中国地方の子守唄」だそうで。後に美空ひばり、夏川りみ、森山良子、岩崎宏美、芹洋子さんといった錚々たる面子がカバーしているんだそうで。知らんけど(←知らんのかいw)。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    「中国地方の子守唄」(ちゅうごくちほうのこもりうた)は、岡山県の西南部に伝わる民謡(子守唄)をもとに、山田耕筰が編曲した楽曲。歌い出しは「ねんねこ しゃっしゃりませ」。この曲のもとになった旋律(元歌)は、岡山県西南部の井原市や小田郡矢掛町周辺、芸予諸島などで歌われていた民謡(子守唄)である。地域で歌われていた民謡としてのこの歌は、単に「子守り歌」「寝させ歌」、あるいは「ねんねの子守唄」「ねんねこさっしゃりませ」などと呼ばれていたようであり、「備中の子守うた」などとして触れる書籍もある。歌詞についても「ねんねこしゃっしゃりませ(ねんねこさっしゃりませ)」というフレーズが共通するものの、バリエーションがある。なお、「さっしゃりませ」は「して下さいよ」を意味する、備中・備後地方の方言である。昭和初期、後月郡高屋村(現在の井原市高屋町)出身の声楽家・上野耐之(静夫)が、故郷の母親(地元のキリスト教会に通い、讃美歌の名手であったという)が歌っていた子守唄を、作曲の師である山田耕筰に披露したことがきっかけとなり、山田が編曲して発表し、世に知られるようになった。芸術歌曲として編作されるにあたって、音域の高さやピアノ伴奏の付加などの点で変更が加えられているが、旋律については元曲とほとんど変わっていない。発表の時期については1928年とする説があり、オリエントレコード社の1929年発売盤がある。第二次世界大戦後に音楽教科書に採用され、全国的に知られるようになった。美空ひばり、夏川りみ、森山良子、岩崎宏美、芹洋子らによってカバーされている。

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