DoraNeko にほんブログ村ランキング参加中。赤いバナーをクリックしていただけると感謝感激雨アラレちゃんです。 [talk words=’難波橋の北詰と南詰、両方の左右には獅子像がございます。故に別名ライオン橋とも呼ばれているのだそうで。橋の高欄でございます。南詰の像は、ちょうど京阪本線の北浜駅出入り口に位置しておるのでございます。’ align=r avatarshape=3 bdcolor=#1e73be bgcolor=#fff avatarsize=50 avatarimg=”https://doranekoweb.com/web-memorandum/wp-content/uploads/doraneko.png”] DoraNeko にほんブログ村ランキング参加中。赤いバナーをクリックしていただけると感謝感激雨アラレちゃんです。 大阪府 レトロ 風景 観光名所 景勝地 モニュメント 街並み 大阪市 IMPACT 北浜駅 この記事が気に入ったら フォローしてね! Follow @web_dora よかったらシェアしてね! URLをコピーしました! URLをコピーしました! なにわ橋駅は、大阪市北区中之島一丁目にある、京阪電鉄中之島線の駅。 北浜駅は、大阪市中央区北浜一丁目にある、京阪電鉄・大阪メトロの駅。 関連記事 汐見橋交差点の、くすのきボイラ。 2021年8月24日 今里駅は、大阪市生野区新今里四丁目にある、近畿日本鉄道の駅。 2023年1月5日 安治川隧道南詰出入口で、通行人を見守る虎頭みたいですな。 2022年7月7日 何処へ行っても食べたい「にしんそば」を飽きもせず。 2020年6月20日 紀州街道沿い、阪堺線神明町停留所そばの、堺県の郷学所跡。 2023年5月2日 宇宙船を思わせるフォルム、大阪メトロ400系電車@阿波座駅。 2023年10月9日 泉ケ丘駅は、大阪府堺市南区竹城台一丁にある、泉北高速鉄道の駅。 2023年4月29日 天神ノ森停留場は、大阪市西成区にある、阪堺電軌阪堺線の停留場。 2023年4月30日 コメント一覧 (1件) Wikipediaから引用 難波橋(なにわばし)は、大阪市の大川に架かる堺筋の橋。浪速の名橋50選選定橋。大阪弁では「ナンニャバシ」と発音する。大阪市中央区北浜と北区西天満を結ぶ、全長189.7m、幅21.8mの橋である。中之島の拡張により、実質的には土佐堀川と堂島川の2つの川を渡る。橋の中央で下流側に中之島通を分岐させ、上流側に中之島公園へ降りる階段が設けられている。橋の南詰めおよび北詰めには、最上級の黒雲母花崗岩を素材にした獅子像(=ライオンの石像、天岡均一作)が左右両側にあるため、「ライオン橋」とも呼ばれている。このライオンは天王寺動物園の当時非常に珍しかったライオンがモデルといわれている。像は左側が口を開く阿形像、右側が口を閉じる吽形像となっており、狛犬(狛犬はライオンがモデルといわれる)の形式を採った獅子=ライオンであるといえる。これについて、江戸時代この地に白玉稲荷神社(豊國神社)が祀られていたためであるとの説もあるが、直接の関係はないとされる。相場師として成功した松井伊助の和歌山の別荘六三園には松井が複製した像があることから、松井の寄付によるとの説もあるが、子孫はこれを否定している。中之島水上公園計画の一環として設計されたことにより、石橋風の外観、公園と一体となった階段、高欄の獅子像、親柱にはペディメント(破風)やメダリオンをあしらい、市章である「みおつくし」をアレンジした意匠が親柱や欄干に模られている。1975年には3年間に及ぶ補修工事により戦時中に金属供出で失われた欄干や橋上灯が復元され、近代大阪を彩った美しい外観を保っている。 返信 DoraNeko へ返信する コメントをキャンセルコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 Δ
Wikipediaから引用 難波橋(なにわばし)は、大阪市の大川に架かる堺筋の橋。浪速の名橋50選選定橋。大阪弁では「ナンニャバシ」と発音する。大阪市中央区北浜と北区西天満を結ぶ、全長189.7m、幅21.8mの橋である。中之島の拡張により、実質的には土佐堀川と堂島川の2つの川を渡る。橋の中央で下流側に中之島通を分岐させ、上流側に中之島公園へ降りる階段が設けられている。橋の南詰めおよび北詰めには、最上級の黒雲母花崗岩を素材にした獅子像(=ライオンの石像、天岡均一作)が左右両側にあるため、「ライオン橋」とも呼ばれている。このライオンは天王寺動物園の当時非常に珍しかったライオンがモデルといわれている。像は左側が口を開く阿形像、右側が口を閉じる吽形像となっており、狛犬(狛犬はライオンがモデルといわれる)の形式を採った獅子=ライオンであるといえる。これについて、江戸時代この地に白玉稲荷神社(豊國神社)が祀られていたためであるとの説もあるが、直接の関係はないとされる。相場師として成功した松井伊助の和歌山の別荘六三園には松井が複製した像があることから、松井の寄付によるとの説もあるが、子孫はこれを否定している。中之島水上公園計画の一環として設計されたことにより、石橋風の外観、公園と一体となった階段、高欄の獅子像、親柱にはペディメント(破風)やメダリオンをあしらい、市章である「みおつくし」をアレンジした意匠が親柱や欄干に模られている。1975年には3年間に及ぶ補修工事により戦時中に金属供出で失われた欄干や橋上灯が復元され、近代大阪を彩った美しい外観を保っている。 返信
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