さいおん橋の蔡温とは、琉球王国の政治家の名である。





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words=’牧志駅下でございます。安里川に架る蔡温橋でございます。那覇市市政100周年のデザインマンホール蓋がございました。蔡温橋の蔡温とは、琉球王国の政治家の名でございますとのことで。その人は生涯で三度の結婚をしたそうでございます。ワタクシに似てますな(←おいこらw)。ペデストリアンデッキ下に面白いデザインの水流モニュメントみたいなやつがございました。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    蔡温(さいおん、1682年10月25日(尚貞14年9月25日) – 1762年1月23日(尚穆10年12月29日))は琉球王国の政治家。三司官の一員として、羽地朝秀を引き継ぎ、近世的な民衆支配の制度を確立した。大和名は具志頭親方文若(ぐしちゃんウェーカタぶんじゃく)。蔡氏具志頭殿内の小祖(蔡氏志多伯家十一世)。久米三十六姓の出身である。著作に『家内物語』、『獨物語』、『自敘傳』、『圖治要傳』や『簔翁片言』等多数。実学を重んじ、物事を現実的にとらえ、自ら行動する政治家であった。特に山林の保全や河川改修において現地に赴き自ら指揮を執ることが多かった。著作として『客間録』、『家言録』、『一言録』、『簔翁片言』、『図治要伝』、『治家捷径』、『居家必覧』、『醒夢要論』、『実学真秘』、『要務秘編』などがあり『澹園全集』と呼ばれる。他にも『山林真秘』、『御教条』、『家内物語』、『独物語』、『林政八書』、『農務帳』、『自叙伝』などがある。しかしながら多くの書物は沖縄戦によって失われている。3回の結婚歴があり、初婚は蔡氏渡久地親雲上政包の娘の思戸金(オミトガニ)であったとされる。2回目は泊村相氏上運天筑登之親雲上英章の娘の真如姑樽(マニクダル)であったが死別している。3回目は首里向氏前川親方朝年の娘で蔡温23歳の年に結婚している。好物は魚のカステラ、イチムイ(魚の刺身盛り合わせ)、牛肉などであった。夜中でも思いついたことを書き留められるよう、寝室に行灯と筆記用具を常備していた。

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