横浜大空襲で被災した、平沼駅の遺構でございます。










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words=’京急本線の横浜駅と戸部駅の間にかつてあった平沼駅、駅跡が車内からも良く見えておりましたが、戦時中に廃止された後の1945年(昭和20年)の横浜大空襲で被災して施設が壊滅的被害を受けたのでございます。戦禍を後世に伝える目的で遺構が残されております。1999年(平成11年)まで屋根の部分も残されておりましたが、老朽化のため崩落する危険が増したという事でホームと出入口階段部以外は撤去されております。駅出入口だった地上部も現在は仮囲いがされていて、ここが何であるのか分からない状態になっておりますですな。吾輩は、遺構を見に行こうという意向(←こらこら、ええ加減にしなさいw)でやってまいりました。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    平沼駅(ひらぬまえき)は、かつて存在した東京急行電鉄湘南線の鉄道駅である。神奈川県横浜市西区平沼に位置し、現在の京急本線上にあった。相対式ホーム2面2線、ホーム有効長18m級4両分を有する高架駅であった。京浜電気鉄道が1931年(昭和6年)に開設し、同社の大東急併合により湘南線の駅となるが、太平洋戦争中の1943年6月に営業を休止。翌1944年11月に廃止された。1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲で被災し、残存施設が壊滅的な被害を受けた。1999年(平成11年)まで架線柱の代用となっていた状態であったことと戦禍を後世に伝えるために現在の線路上を跨ぐ形で鉄骨の屋根の跡が残されていたが、老朽化により崩れる危険が出てきたことから撤去された。プラットホームの遺構は腐食・崩壊を防ぐため、プラスティックでコーティング処理されて現存しており、そこに駅が存在していたことを彷彿とさせる。ホームには保線機材が置かれている。毎年5月29日には、京浜急行電鉄の本社並びに労働組合の代表者による慰霊祭が同駅跡地で行われている。

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