先斗町は、京都市中京区の鴨川と木屋町通の間にある、花街及び歓楽街。






























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words=’京都河原町駅から快速特急京とれいん雅洛に乗車するんですが、出発時刻にまだ時間があるんで先斗町界隈を散策しております。無電柱化が完成して以降、綺麗になりましたですな。かつては「一見さんお断り」の会員制の店がほとんどを占める場所でございましたが、観光地化が進んで現在は「一見さんお断り」を見掛けなくなりましたですな。凄い変貌っぷりでございます。時代の移ろいを実感するジジイでございます。’
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    先斗町(ぽんとちょう)は京都市中京区に位置し、鴨川と木屋町通の間にある花街及び歓楽街。「町」と付くが地名としての先斗町はない。先斗町通については「先斗町通四条上る柏屋町」等、公文書(四条通地区地区計画:京都市都市計画局)にも使用されている。また、京都五花街の一つである京都先斗町は京都市随一の繁華街である四条河原町の東端に位置し、鴨川寄りに面したお茶屋・料亭・レストラン・バー等は納涼床を設ける店舗も多数存在している。特定の行政上の地名ではないが、先斗町まちづくり協議会が組織されており、その活動区域は、京都市中京区石屋町の一部、橋下町、若松町、梅之木町、松本町、柏屋町、材木町、下樵木町、鍋屋町の区域となっている。北端は三条通りの一本南の通り(三条通一筋下ル)、南端は四条通、東端は鴨川、西端は木屋町通で、そのうち材木町・下樵木町・鍋屋町の木屋町通りに面した部分を除く地域とされている。2021年11月10日に無電柱化が完了しだんだら模様などが続く約500mの石畳の通りは花街特有の商業形態の他、一般の飲食店も並ぶ。通り東側の店は鴨川に面し、納涼床を設ける飲食店が多い。先斗町歌舞練場は北の端寄りにあり、鴨川に大きな姿を映す。また、先斗町の伝統と魅力を守り後世に伝えるため発足した「先斗町のれん会」や「先斗町まちづくり協議会」がある。「先斗町のれん会」は先斗町通りの三条から四条までの74店舗(令和3年2月現在)が加盟している。あちこちの店先に鴨川ちどりが描かれた提灯が掲げられ、情緒豊かな雰囲気を醸し出している。京都には現在「五花街」と呼ばれ、賑わっている祇園甲部、上七軒、先斗町、祇園東、宮川町の五つの花街がある。これらの花街にはそれぞれ紋章がある。先斗町の紋章は「鴨川ちどり」。明治5年(1872年)に鴨川をどりが初めて開催されたときに創案されたものである。かつては鴨川に数多くいたという鳥類も今ではあまり見かけなくなったが、先斗町通を歩いていると、千鳥の画が描かれた提灯があちらこちらの店先に掲げてあり、街の雰囲気を和やかに盛り上げている。先斗町(ぽんとちょう)という名前の由来は、一説にはポルトガル語(ponta(先)、ponte(橋)、ponto(点))に由来するという説があり、また一説には鴨川と高瀬川の川(皮)にはさまれた堤(鼓)にたとえてポンと音がするともじったという説など、諸説が伝わっている。また、1915年(大正4年)に出版された『京都坊目誌』には、「当初は、東側ばかりに家が建ち、西側にはなかったことから、先斗(さきばか)りという意味で先斗町と呼ばれるようになった」と記載されている。掛け金をゲームの最初だけ(さきばかり:漢字では「先斗」と表記)に全部かけるという意味のカルタ賭博用語が語源であるとする説がポルトガル語やスペイン語に精通した元銀行員によって発表され、「地名研究第11号」(京都地名研究会発行)に掲載された。特殊な読みの地名だが和田弘とマヒナスターズ『お座敷小唄』(1964年)で日本全国に知られるようになった。

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