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‘汐留シオサイトの一角にある、旧新橋停車場・鉄道歴史展示室でございます。鉄道記念物の指定を受けている0哩標とレールがモニュメントとして設けられ、当時の駅舎とホームが再現された旧新橋停車場です。鉄道歴史展示室としてJR東日本により運営されている施設でございます。

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  • Wikipediaから引用
    汐留駅(しおどめえき)は、東京都港区東新橋1丁目にあった日本国有鉄道(国鉄)の駅である。東海道本線の貨物支線(東海道貨物線)上にあった。1872年10月14日(明治5年9月12日)に日本最初の鉄道路線の起点として開業した新橋駅(初代)がこの駅の始まりである。リチャード・ブリジェンスの設計による木造石張り2階建ての西洋建築の駅舎があり、当時のホーム構造は頭端式ホームだった。長らく東京のターミナル駅として機能し、1900年(明治33年)に大和田建樹が作詞した「鉄道唱歌」では「汽笛一声新橋を はや我汽車わがきしゃは離れたり 愛宕の山に入いりのこる 月を旅路の友として」と歌われた。1873年(明治6年)9月には、当駅と横浜駅(初代・現在の桜木町駅)との間で日本初の貨物列車の運行が開始された。1日1往復の運行で、イギリス製の有蓋車や無蓋車を使用していたという。しかし、1914年(大正3年)12月20日に旅客ターミナル駅の機能が新設の東京駅に移り、旅客営業が廃止された。駅構内が広大だった当駅は貨物駅として再使用されることになり、汐留駅と改称し、同時に、電車線の駅であった烏森駅が、新橋駅(2代目)と改称している。跡地は、1965年(昭和40年)5月12日に「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の史跡に指定され、1996年(平成8年)12月10日に指定地域の一部解除・追加をし、「旧新橋停車場跡」へ名称変更した。発掘調査の後、風化を防ぐために埋め戻され、2003年(平成15年)にその上に開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」が建てられ、同年4月10日開館。調査では鋳物工場跡やトイレ遺構などを検出している。内部は鉄道の歴史に関する「鉄道歴史展示室」(運営は東日本鉄道文化財団)になっており、以前は三國清三監修によるフランス料理店の「GRAND CAFE SHIMBASHI MIKUNI」(運営はジェイアール東日本フードビジネス)もあったが閉店した。その後、中華料理店「Imperial Treasure」を経て銀座ライオンが出店したが、2022年に閉店した。汐留駅として営業していた当時の1936年(昭和11年)、鉄道建設時の測量起点となる最初の杭が打たれた位置に「0哩(マイル)標」と3メートルのレールがモニュメントとして設けられ、1958年(昭和33年)に鉄道記念物の指定を受けた。再開発に伴いこのモニュメントも再整備され、旧新橋停車場の裏手に残されている。

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