浜寺公園駅旧駅舎(堺市)

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DoraNeko

1907年(明治40年)から現存する辰野金吾設計の木造平屋建て駅舎の浜寺公園駅旧駅舎でございます。連続立体交差事業で取り壊されるかも知れなかった駅舎ですが、保存が決まり、高架化の完成後は再び移設してエントランスとしてまた使用されることになったようですな。現在は駅カフェとして利用されております。残ることになって良かったですな。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    旧駅舎は1907年(明治40年)に現在の駅名に改められた時から現存するもので、使用終了当時、現役の駅舎で私鉄最古のものとされていた。辰野金吾設計の木造平屋建ての洋風駅舎(辰野が初めて手がけた駅舎)である。柱や梁を表に現したハーフティンバー様式で造られている。テレビ番組等でもしばしば紹介され、近代建築の代表作の一つとして知られる。なお、近江鉄道の桜川駅の駅舎は1900年(明治33年)の開業以来のもので当駅より古いとされている。大阪府が計画する石津川駅ー北助松駅間の連続立体交差事業(堺市が政令指定都市に移行したため市内区間は堺市施行となった)による鉄道の高架化で、この駅舎が撤去・解体される可能性があった。この問題は長年議論されたが2006年11月7日に事業認可が降り、高架化が決定した。当初は2018年3月末の完成予定であったが、仮線用地の確保に手間取っており、2028年3月の完成予定へと変更されている。駅舎は、2008年2月7日に開催された「浜寺公園駅及び諏訪ノ森駅舎保存活用にかかわる懇話会」の最終会合で、高架化後には、新たに造られる新駅舎正面に移築され、エントランスとして使用されることが決まっている。この駅舎は、2016年1月28日未明の最終電車取扱い後に運用が終了して閉鎖され、駅の機能が仮駅舎へ移転した後、曳家によって約30m移動。正面向かって右側にあるかつての一等待合室はステーション・ギャラリーとして、左側の旧駅務室は駅舎カフェ、ステーション・ライブラリーとして使われている。

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