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DoraNeko

鴨川に架かる正面橋の袂に正面橋に使われている欄干親柱と同じ親柱と共に、梵鐘が置かれております。正面通の名称は方広寺大仏殿の正面が由来でございますが、この梵鐘には方広寺の鐘楼の天井に描かれている迦陵頻伽があり、南無阿弥陀佛と書かれているのがわかりますが、これが方広寺にあったものなのか、何か所縁があるものなのかは分かりません。そして何より、何故ここに置かれているのかが分かりません。と、敷地を見ると脇が京仏具の橋本菊商店という仏具店ではありませんか。つまりはこのお店がこれをここに置いているのかも知れない説が脳内を支配するのですが、本当のところは分かりません。謎は謎のままでございます。方広寺といえば、大坂夏の陣の契機の一つとなった梵鐘の銘文、「国家安康」「君臣豊楽」の方広寺鐘銘事件の舞台でございます。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    正面橋(しょうめんばし)は、京都市正面通の鴨川に架かる橋である。正面通は方広寺大仏(京の大仏)の正面に至る通りの意だが、大仏は失われて、今日豊国神社が立地している。元和5年(1619年)に江戸幕府2代将軍徳川秀忠の命令で、京都のキリシタンが多数、火あぶりで処刑された(京都の大殉教)。宣教師ジラン・ロドリゲスの著したイエズス会年報に「ミヤコの東部を囲み南に向かって流れる川(鴨川)の近くに処刑のための十字架を立てた。十字架は有名な大仏に向かいあっていた。この大仏というのは、最も大きな寺院で、日本で最大で、最も豊満な仏である。」という記事があることから、処刑場所は正面橋近辺と考えられており、正面橋東詰には「元和キリシタン殉教の地」という碑が建てられている。

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