武田勝頼公之像@甲斐大和駅

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中央本線の甲斐大和駅の裏手に建立されている武田勝頼公之像でございます。この地は織田・徳川連合軍との戦いに敗れた武田勝頼一族が自害した天目山がある、武田氏終焉の地でございます。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    甲斐大和駅(かいやまとえき)は、山梨県甲州市大和町初鹿野(はじかの)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)中央本線の駅である。開業当初の駅名は初鹿野(はじかの)。1903年(明治36年)に大月駅 – 当駅間開通に伴い開業した古い駅である。終着駅であった時期は短く、同年6月11日には当駅 – 甲府駅間が開通したため途中駅となった。開設当時の所在地は東山梨郡初鹿野村であった。初鹿野村はその後1941年(昭和16年)に付近の村々と合併して大和村となったが、駅名はそのままで、52年後の1993年(平成5年)に現在の甲斐大和駅へ改称された。2005年(平成17年)、大和村は付近の市町と合併して甲州市となり、現在に至る。単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線を有する地上駅。ホームは嵩上げされていない。ホームは切通しの底に置かれており、駅舎は切り通しに橋を掛けた上に位置する。このため各ホームへは、駅舎から各ホームへ伸びる階段を下って行くことになる。なお、2・3番線に面した島式ホーム上には、駅付近で産出する甲州鞍馬石を使用したモニュメントが置かれている。駅舎は1969年(昭和41年)11月竣工で、内部には待合所のほか自動券売機や簡易Suica改札機があったが、自動券売機は2020年12月1日をもって営業を終了し、撤去された。現在は乗車駅証明書発行機が設置されている。2014年3月31日までは窓口が設置されていたが、4月1日の無人駅化に伴い撤去された。無人化直前は塩山駅が管理する業務委託駅(JR東日本ステーションサービス委託)であった。駅名標のラインカラーは実際にはオレンジ色が使われている。しかし中央線快速が当駅に乗り入れることはない。当駅では2番線を利用して、特急「あずさ」、「かいじ」の通過待ちが多く行われる。これは当駅が、大月・塩山間では唯一の追い越し可能な駅だからである。駅一帯は国中地方と郡内地方との境に近い山間部であり、駅そのものは日川渓谷(ひかわ)によって出来た小さな平地にある。この駅は長大トンネルの間に挟まれて位置しており、当駅の東は笹子駅の付近まで笹子トンネル (中央本線)と新笹子トンネル、西は短い鶴瀬トンネルを挟んで勝沼ぶどう郷駅の手前まで殆どが新深沢トンネルと新大日影トンネルとなっている。武田勝頼一族が自害した天目山が駅北東にあり、他に景徳院等、武田氏ゆかりの史跡がある。ホームには「武田氏終えんの郷」の看板が設置されている他、2002年(平成14年)には駅裏手に武田勝頼の銅像が建立された。他に、甲斐武田氏の一族で代々武田氏に仕えたとされる初鹿野氏は、この地名を姓の由来としたと言われる。

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