法鏡山妙傳寺(京都市)

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DoraNeko

東大路通と二条通の交差する東山二条交差点の南東角にある寺、妙傳寺でございます。京都在住の小中高時代、現ロームシアター京都である京都会館とか、岡崎公園周辺に行くにはこの付近のバス停を利用してここを通るので、要するに幼い頃から通行していた場所なので、印象に残っております。このお寺には入ったことはございませんけれどね。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    妙傳寺、妙伝寺(みょうでんじ)は、京都府京都市左京区北門前町にある、日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は法鏡山。塔頭が五院ある(妙釋院・圓立院・龍嶽院・本光院・玉樹院)。1477年(文明9年)、円教院日意によって京都一条尻切屋町の地に妙傳寺を建立された。開創にあたり師の日朝とはかり宗祖の日蓮の御真骨を奉安し、関西以西の信徒の願いを満たした。同時に身延七面山に勧請されている七面天女と同木同体の霊体を安置し、これをもって「西身延」と称されるようになった。1536年(天文5年)、天文法難(法華一揆)により全山悉く灰燼。1541年(天文10年)には再び京都西洞院に再興する。これを第二の妙傳寺という。1591年(天正19年)、第六世・慈眼院日恵の代、豊臣秀吉の命にて京極二条の地に移転する。これを第三の妙傳寺という。この時、一条家・四条家の菩提寺となる。慈眼院日恵は妙傳寺の中興と仰がれる。第八世には心性院日遠が歴世。第十四世には法性院日勇が歴世。日勇は学徳高く、後水尾天皇の中宮・東福門院より金紋袈裟を賜る。山科護国寺を開山し、山科檀林を開く。第十六世には寂遠院日通が歴世。第二十九世・住心院日義の代、宝永の大火が起こり、全山灰燼に帰す。現在の二条川端に再興しこれを第四の妙傳寺という。第五世・了遠院日勤は説法を重ねること一万座に及び、浄財を勧募し現在の本堂を建立する。開山の日意以来、身延門流直系の京都の触頭として京都日蓮宗八本山のひとつ、京都十六本山のひとつに数えられている。尚、歴代の廟は東山区鳥辺山通妙寺にあり、縁祖・法性院日勇、並びに寂遠院日通の廟は山科護国寺にある。

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