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DoraNeko
龍安寺の石庭でございます。龍安寺と言えば石庭、というほど世界的に有名でございます。縁に腰掛けて眺めている人々の8割ほどが外国人観光客でございました。それにしても人が多過ぎでございますな。室町時代末期の作庭と言われておりますが、とてつもない年月ここにこうしてあるんですから凄いですよね~、そこの奥さん(←それ、もうええてw)。
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龍安寺の石庭でございます。龍安寺と言えば石庭、というほど世界的に有名でございます。縁に腰掛けて眺めている人々の8割ほどが外国人観光客でございました。それにしても人が多過ぎでございますな。室町時代末期の作庭と言われておりますが、とてつもない年月ここにこうしてあるんですから凄いですよね~、そこの奥さん(←それ、もうええてw)。
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コメント一覧 (1件)
Wikipediaから引用
方丈庭園(国の史跡・特別名勝)、いわゆる「龍安寺の石庭」である。白砂の砂紋で波の重なりを表す枯山水庭園の特徴を有する。幅25メートル、奥行10メートルほどの空間に白砂を敷き詰め、東から5個、2個、3個、2個、3個の合わせて15の大小の石を配置する。これらの石は3種類に大別できる。各所にある比較的大きな4石はチャートと呼ばれる龍安寺裏山から西山一帯に多い山石の地石。塀ぎわの細長い石他2石は京都府丹波あたりの山石。その他の9石は三波川変成帯で見られる緑色片岩である。寺伝では、室町時代末期(1500年頃)特芳禅傑らの優れた禅僧によって作庭されたと伝えられるが、作庭者、作庭時期、意図ともに諸説あって定かではない。塀ぎわの細長い石には「小太郎・□二郎」と刻まれており、作庭に関わった人物と推測されるが、詳細は不明である。この庭は石の配置から「虎の子渡しの庭」や「七五三の庭」の別称がある。「虎の子渡し」とは、虎は、3匹の子供がいると、そのうち1匹は必ずどう猛で、子虎だけで放っておくと、そのどう猛な子虎が他の子虎を食ってしまうという。そこで、母虎が3匹の虎を連れて大河を渡る時は次のようにする。母虎はまず、どう猛な子虎を先に向こう岸に渡してから、いったん引き返す。次に、残った2匹のうち1匹を連れて向こう岸に行くと、今度は、どう猛な子虎だけを連れて、ふたたび元の岸に戻る。その次に、3匹目の子虎を連れて向こう岸へ渡る。この時点で元の岸にはどう猛な子虎1匹だけが残っているので、母虎は最後にこれを連れて向こう岸へ渡る、という中国の説話(虎、彪を引いて水を渡る)に基づくものである。「七五三の庭」とは、東から5、2、3、2、3の5群で構成される石組を、5と2で七石、3と2で五石、そして3で三石と、七・五・三の3群とも見られることによる。古来より奇数は陽数、すなわちおめでたい数とされ、その真ん中の数字をとったものである。この石庭は、どの位置から眺めても必ずどこかの1つの石が見えないように配置されている。どこから鑑賞しても庭石が1個見えないようになっているのは、ある石に別の石が重なるよう設計されているためで、日本庭園における「重なり志向」を表したものともいわれている。