大阪市立愛珠幼稚園(大阪市)

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適塾跡に隣接している大阪市立愛珠幼稚園でございます。園舎は国の重要文化財に指定されております。現存する木造幼稚園園舎としては日本最古のものでございます。ここが現役の幼稚園であることに驚きを隠せませんですわな~、そこの奥さん(←何処の奥さん?)。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    大阪市立愛珠幼稚園(おおさかしりつ あいしゅようちえん)は、大阪府大阪市中央区今橋三丁目にある公立幼稚園。1880年6月1日に開園した。現存する幼稚園としては大阪府内では最も古い歴史をもち、また日本でも2番目に古い歴史をもつ。現存する木造の幼稚園園舎としては日本最古、また民間の手によって建てられた幼稚園としても日本最古となっている。淀屋橋の南方、船場のオフィス街の中に位置し、適塾跡に隣接している。園の敷地は江戸時代の銅座の跡地で、その記念碑が建つ。大阪市立開平小学校との交流、専門家を招いての芸術文化体験、動植物の飼育栽培など、心豊かな子どもを育てることを目標とした幼稚園教育を行っている。また未就園児向けの保育や、夕方や長期休業中の預かり保育も実施している。1879年に道修小学校連合町会が、当時日本ではほとんど設置されていなかった幼稚園を設立して幼児保育の効果を社会一般に知らせようと建議を行ったことが、幼稚園設立のきっかけとなっている。準備期間を経て1880年に東区今橋5丁目(現在の中央区北浜4丁目)に開園した。1889年には大阪市の市制施行に伴い、連合町会から大阪市に移管した。草創期の同園では、フレーベルの理論を取り入れた幼児教育が行われた。また草創期には読み書きなどの教育も行われたが、実践の中で幼児の発達段階に合わないことが分かり、読み書きなどの教育は短期間で中止された。明治~大正期にかけては、著名人の視察も頻繁に行われた。大阪の町にも空襲が相次ぐなど太平洋戦争の激化に伴い、軍需製品を製作・納入している会社が近隣にあったことから、空襲被害の際に木造園舎の火災が延焼することを恐れた会社側が、園舎の撤去願いを1945年3月末に大阪市に出した。園舎は当時から重要な教育建築物と認識されていたため、解体時期をできるだけ遅くしてもらうように園関係者が折衝したが、1945年6月には建物疎開の対象と決定した。同年8月4日に取り壊しが計画されていたが、空襲のために作業が遅れてそのまま8月15日の終戦を迎えたために取り壊しは中止され、戦後も引き続き園舎を使用している。園舎は1999年11月に大阪市指定有形文化財に指定された。大阪市の有形文化財指定制度はこの年に始まったため、「指定第1号」の一つともなっている。その後2007年には、岡山県岡山市の岡山市立旭東幼稚園旧園舎(1908年建築・1979年解体・1999年復元保存)とともに、幼稚園の園舎として日本で初めて国の重要文化財に指定された。

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