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国の史跡に指定されている高瀬川一之船入でございます。船入とは接岸させた高瀬舟から荷を陸揚げするための入り江で、北から順番に一之船入、二之船入と名付けられたのでございます。一之船入は最も上流の船入でございます。高瀬川の船入で今も姿を留めているのはこの一之船入だけでございます。高瀬舟のレプリカが船入口付近に置かれております。今は柵が設けられて水路からも入れなくなっており、入り江に面した岸部にも店舗が建ち並び、人が立ち入れなくなっております。しかし、何故なのかは分かりませんが、幼稚園児の当時はまだ入り江に面した岸まで入ることができて、水際まで行って戯れていた時の光景が記憶に残っているんでございますよ。押小路通側に空き地があったんでしょうな~知らんけど(←知らんのかいw)。


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Wikipediaから引用
高瀬川一之船入(たかせがわいちのふないり)は、京都府の高瀬川に附属して作られた浜地(船を接岸させるための入り江)である。所在地は京都市中京区木屋町通二条下ル西側一之船入町。1934年(昭和9年)1月22日、国の史跡に指定された。伏見にある三栖浜(宇治川との合流点)から積荷を満載して人力で曳き上ってきた高瀬舟がこの浜で荷を陸揚げし、船を方向転換させた。高瀬川の船入は二条から四条までの約1キロメートルの間に設けられた。全盛期には9つ(およそ100メートル〈一町〉間隔)の船入があったが、水運の盛衰によってその数が増減したため、9つすべての船入が揃った古地図は存在しない。二之船入は幻の船入とも呼べるもので、宝永2年(1705年)以前のわずか十数年間しか存在しなかった。二之船入は浜地の北に隣接した長州藩の邸内に包括されたものと考えられる。現存するのは一之船入のみで(2010年4月現在)、一之船入手前の高瀬川に往時の高瀬舟が再現されている。このほか、船入の小規模のものを「舟廻し」と呼び、これらは四条より下流に設けられ、歴史的には5つから7つあったことが確認できる。