パブリックアート@豊橋②

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パブリックアートだらけと言っても過言でない位に沢山の作品がある豊橋駅周辺でございます。偶然の如く遭遇したもののみ撮影することにしましたけれど、数多く遭遇しております。広小路通りなる繁華な通りにあったのは、ユーモアの出会いと題された豊橋市出身の漫画家、牧野圭一さんの作品でございます。この通りには牧野圭一さんの作品が沢山あるらしいですな。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    牧野 圭一(まきの けいいち、1937年11月1日 – 2022年8月14日)は、日本の漫画家、漫画文化の研究者。京都精華大学名誉教授。愛知県豊橋市出身。4人きょうだいの長男。漫画家の牧野和子は実妹である。愛知県立時習館高等学校卒業。上京して2度美術大学受験に失敗し、1958年に日本テレビジョン(TCJ)へ入社。アニメーターとして働く。27歳で博報堂へ転職し、テレビCMの絵コンテを手がける。1964年には独立して、島充とともにマキノプロダクションを設立。1966年より近藤日出造に師事し、近藤没後の1976年3月から約15年間、近藤の後を継いで読売新聞に政治漫画を連載した。1976年11月に読売新聞社の嘱託に。イラスト、デザイン、アニメ、漫画など多くの作品を手がけるとともに文藝春秋漫画賞など、これらに関する賞をいくつか受賞している。1971年にテレビアニメ「アンデルセン物語」キャンティとズッコ、キャラクター原案。漫画家の手塚治虫と親交があり、1975年には手塚が展示プロデューサーを務めた沖縄国際海洋博覧会において、副プロデューサーとして参加している。1991年に愛知県豊橋市美術博物館において「牧野圭一ユーモアART展」を開催。1992年、銀座田中貴金属ジュエリー店にて「ユーモア・ジュエリー展」。愛知県豊橋市「7つの出会い像」制作。船橋市海老川河畔に「十福神像」を設置。豊橋市生まれであることから2003年2月からは豊橋ふるさと大使を務めている。2006年から2年間京都精華大学マンガ学部の学部長に就任し、2008年4月より同大名誉教授、国際マンガ研究センター長を歴任。2011年4月からは京都造形芸術大学教授を務めていた。2013年には読売新聞社主催「地球にやさしい作文・活動報告コンテスト」審査委員。他にもまんが甲子園企画参画の選考委員、さいたま市北沢楽天顕彰会会長、ユーモア発明クラブ会長、日本漫画家協会事業担当理事を務めた。2022年8月14日に死去していたことが日本漫画家協会より同月16日に公表された。84歳没。

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