高浜市マンホール蓋@高浜港駅

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名鉄三河線の高浜港駅前にあった、高浜市のデザインマンホール蓋でございます。図柄は高浜市を代表する伝統的な祭事「おまんと祭り」なのだそうでございます。ん?何をにやけているんですかそこの奥さん(←だから誰やねんw)。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    高浜港駅(たかはまみなとえき)は、愛知県高浜市青木町にある、名鉄三河線の駅。manacaが使用可能である。高浜港駅は三河鉄道が最初に建設した大浜港駅(現・碧南駅) – 刈谷新駅(現・刈谷駅)間の開通と同時に開業した。三河鉄道では当初より鉄道貨物輸送が考えられ、新川港や大浜港では駅と港とを結ぶ臨港線(新川口支線および大浜口支線)が建設されたが、高浜港の場合は後背地が海岸段丘であったことから臨港線建設には不適であり、路線を港に寄せることで対応した(当時は現在よりも海岸が近かったが、昭和30年代以降の工業化により港が埋立てられ、海岸線が遠のいた)。高浜港駅からの主な出荷品は地場産業の瓦や土管、醤油・味噌、高浜港から荷揚げされた石炭などで、入荷品は猿投町枝下地区で採掘され、瓦や土管の材料となる木節粘土[3]などであった。このほか、日本陶管の工場が高浜港駅と刈谷駅付近にあったため、両工場間の燃料輸送も盛んであった。1970年代には貨物輸送も鉄道からトラックへと切り替わっていき、高浜港駅の貨物扱いも1977年(昭和52年)に廃止された。1面1線の地上駅である。かつては1面2線の島式ホームであったが、三河線の貨物営業の廃止や運行ダイヤが整理されパターン化したことにより、交換駅としての必要性がなくなり棒線化された。現在の駅舎は2015年度(当初は2014年度)の設備投資計画によって建設され、2016年(平成28年)3月10日より供用を開始した。駅集中管理システム(管理駅は知立駅)が導入された無人駅である。先代駅舎は1940年(昭和15年)に建設されたもので、駅本屋の改造や車寄の増築などが行われつつも、東面の駅通路上家に建設当時の姿を残していた。貨物営業廃止前は駅舎とホームとの間に2線あったため、駅舎とホームは約10 m離れて立地した。駅舎の屋根には三州瓦が使われているが、駅本屋がいぶし瓦、車寄が陶器瓦、駅通路上家がフランス瓦と異なっており、増改築の様子がうかがえた。駅本屋は北から待合室、保守点検室、物置に区分され、待合室区画には2台の自動改札機、2台の自動券売機、高浜市の特産品を展示するショーケースがあった。建て替え前の2014年(平成26年)には駅舎の撮影イベントが開催された。旧駅舎南側に独立した建物として存在するトイレは、駅舎の建て替えにあたり名鉄が改修の上で高浜市に譲渡、公共施設となった。駅前には大きな瓦のモニュメントがある。

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