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DoraNeko

1987年3月28日に全線廃止となった志布志線の廃線跡を利用して整備された都城市鉄道記念公園でございます。橋の欄干部に汽車のレリーフが施されている以外には特に鉄道にまつわるものはございませんが、廃線跡であることは分かりますね。西都城駅方面にはよく見ると遺構と思しきものが散見されるのだそうですが。

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    志布志線(しぶしせん)は、かつて宮崎県都城市の西都城駅から鹿児島県曽於郡志布志町(現・志布志市)の志布志駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、1987年3月28日に全線廃止となった。廃止時は10往復の列車が設定され、普通列車のほか朝の上りと夜の下りに各1本ずつ日豊本線と当線を経由して西鹿児島(現在の鹿児島中央) – 日南線油津間を直通する快速列車「大隅」が設定されていた。全列車が西都城 – 志布志間を通しで運転しており区間運転は無かったが、西都城側では西鹿児島に直通する快速列車1往復を除く全列車が都城まで、志布志側でも普通列車下り4本・上り3本が宮崎まで、快速列車は上下とも油津まで日南線へ直通運転を行っていた(日南線内は普通)。都城から太平洋岸の志布志に向かい、軽便鉄道法により建設された鉄道で、1923年から1925年にかけて志布志までが開業した。1932年には、国都東・西線が連絡し、現在の日豊本線ルートが完成したのにともない、都城 – 西都城間が日豊本線に編入されている。現在は日南線となっている北郷 – 志布志間についても当初は志布志線として開業した区間で、1963年の日南線南宮崎 – 北郷間開業にともない、同線に編入された。こちらは大隅線とともに、改正鉄道敷設法別表第126号に規定する予定線である。

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