赤いバナーを押していただけると感謝感激雨アラレちゃんです。

DoraNeko

壬生寺でございます。新選組の屯所があったことでも知られております。屯所は隣の八木邸にあったのでございます。吾輩は壬生エリアの生まれでございますが、壬生の西の端、壬生寺は東の端でございまして、約1kmと少し離れております。なので幼少の頃に頻繁に来る、なんてことはございませんでしたが、有名な壬生狂言が行われるので、小学生の頃に連れられて見物した事実は覚えております。流石に小学生低学年ではなんのこっちゃコレみたいなことでしたですなw

赤いバナーを押していただけると感謝感激雨アラレちゃんです。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    壬生寺(みぶでら)は、京都市中京区壬生梛ノ宮町にある律宗の大本山の寺院。本尊は地蔵菩薩。開山は園城寺(三井寺)の僧快賢。中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。古くは地蔵院、宝幢三昧寺、心浄光院と号した。京都では珍しい律宗(総本山は奈良・唐招提寺)寺院である。塔頭の中院(本尊・十一面観音)は洛陽三十三所観音霊場第28番札所。江戸時代後期の幕末には京都の治安維持を目的に活動した新選組(当初は壬生浪士組といった)の本拠地である屯所が壬生村の八木邸(当寺の北側)に置かれた。屯所が西本願寺に移転してからも当寺境内は引き続いて新選組の兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われた。その縁で境内には局長近藤勇の銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚がある(近藤勇の墓とされるものは、当寺以外にも会津若松市、三鷹市などに存在する)。当寺旧本尊の地蔵菩薩半跏像(鎌倉時代後期の作)は、「壬生地蔵」、「延命地蔵」と呼ばれ信仰を集めていた。 しかし1962年(昭和37年)7月25日、放火により本堂、四天王像、金鼓とともに焼失。現在の本尊・地蔵菩薩立像は、火災後に本山の唐招提寺から移されたものであり、1967年(昭和42年)に本堂も復興した。

コメントする

目次