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平清盛の孫で壇ノ浦の戦いに敗れて8歳で入水した安徳天皇を祀る赤間神宮の鳥居の向かいの海岸は阿弥陀寺公園になっております。雁木に錨が置かれたモニュメントがございますが、これは「能」演目の一つである「碇潜いかりかずき」にちなんだものでございますね。あらすじ等はwikiによりますと”壇の浦を訪ねた旅僧の前に、舟人の尉が現れ、平教経が敵の安芸太郎次郎兄弟を両脇に挟んで入水した様を物語る。やがて平知盛の霊が現れ、碇を持ち上げて入水した最後の有り様を見せる。観世流の小書「船出之習」と金剛流では、後場に船の作り物と、二位の尼と大納言局が出る。また、金春禅鳳の型付では、前ツレ二名(直面の舟人で安芸兄弟の役)が登場し、後場では船の作り物と、二位の尼、安徳天皇が登場することになっており、近年この型を復元上演することも行われている。なお、知盛入水の場面は、文楽・歌舞伎の「義経千本桜」渡海屋の段にも取り入れられている。”ということでございます。











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Wikipediaから引用
赤間神宮(あかまじんぐう)は、山口県下関市にある神社。旧社格は官幣大社。壇ノ浦の戦いにおいて入水した安徳天皇を祀る。江戸時代までは安徳天皇御影堂といい、仏式により祀られていた。平家一門を祀る塚があることでも有名であり、前身の阿弥陀寺は『耳なし芳一』の舞台であったが、廃仏毀釈により神社となり現在に至る。859年(貞観元年)に阿弥陀寺として開闢。1185年(文治元年)の壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の遺体は現場付近では発見できなかったが、赤間関(下関)に1191年(建久2年)、勅命により御影堂が建立され、建礼門院ゆかりの尼を奉仕させた。以後、勅願寺として崇敬を受ける。明治の神仏分離により阿弥陀寺は廃され、神社となって「天皇社」と改称した。また、歴代天皇陵の治定の終了後、安徳天皇陵は多くの伝承地の中からこの安徳天皇社の境内が1889年(明治22年)7月25日、「擬陵」として公式に治定された。天皇社は1875年(明治8年)10月7日、赤間宮に改称し、官幣中社に列格した。1940年(昭和15年)8月1日、官幣大社に昇格し、赤間神宮に改称した。第二次世界大戦により社殿を焼失し、1965年(昭和40年)4月に新社殿が竣工した。1963年(昭和38年)9月には当時の皇太子(明仁親王)が参拝した。1975年(昭和50年)、全国平家会が設立される。
1985年(昭和60年)、源平八百年を期に石川県の輪島市にある平時忠の子孫「時国家」に分霊が親授された。その際に邸内社が建立され「能登安徳天皇社」の称号が授与された。2018年(平成30年)11月2日、「赤間神宮水天門及び回廊」が国の登録有形文化財に登録される。