屋島は、香川県高松市の東北に位置する、硬質の溶岩に覆われた平坦面が侵食された残丘。

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屋島から見る瀬戸内海、下から上からw 屋島第一健康ランドから見た瀬戸内海



屋島山上から見た瀬戸内海

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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    屋島(やしま、旧字体:屋嶋)は、日本の四国北東部の、香川県高松市の東北に位置する、硬質の溶岩に覆われた平坦面が侵食された残丘。南北に長い台地状の地形。周辺は屋島地区と呼ばれる。屋島の名称は屋根のような形状に由来、高松市のシンボルになっている。また、古来から瀬戸内海の海路の目印となる特徴物であり、海外交流交易海路に面した要衝であった。屋島は江戸時代までは陸から離れた島であったが、江戸時代に始まる塩田開発と干拓水田は後の時代に埋め立てられ、陸続きになった。海上保安庁では屋島を島として定めているが、現在の法定区分は、高松市を形成する四国本島の扱いである。全体の大きさは南北に約5km、東西に約2km、南嶺の標高は292m、北嶺の標高は282m、平坦な頂面の周囲に急な崖を持つ典型的なメサの地形であり、開析溶岩台地。両峰は細い尾根で接続されている。東岸と西岸と相引川沿いの埋立地は、住宅地・市街地に改変され、国の史跡および天然記念物の指定区域内に多くの人が集住している。 山上に多島海が眺められる展望景観を有し、1934年(昭和9年)3月16日、国立公園として初の瀬戸内海国立公園に指定された。当初の指定区域は屋島を含む備讃瀬戸の一帯である。島内に重層の遺跡を有し、まれな台地であることから、1934年(昭和9年)11月10日、国の史跡および天然記念物「屋島」に指定された。史跡および天然記念物の指定範囲は、相引川以北の全域と、その地先の100mの海面区域である。663年に起こった白村江の戦いの後に屋嶋城が築かれ、山上の全域が城とされている。また、南嶺山上に唐僧・鑑真が創建したとの伝承をもつ屋島寺がある。東岸の入江の一帯は古来の檀ノ浦(讃岐檀ノ浦)で、治承・寿永の乱(源平合戦)における重要な局地戦の一つである屋島の戦いがここを戦場として繰り広げられた。そのほかにも、長崎ノ鼻古墳(ながさきのはなこふん)、北嶺山上に千間堂跡(せんげんどうあと)、屋島経塚(やしまきょうづか)、長崎ノ鼻砲台跡などがある。屋島スカイウェイの通じた南嶺山上は、香川県を代表する観光地の一つとして開発されている。しかし、北嶺山上は良好な自然公園である。両者は細い尾根で接続され、各々周回した歩行者専用の探勝遊歩道と、南北嶺を縦走できる登山道が整備されている。

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