でっかい、おしし@難波八阪神社。

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難波八阪神社。けっこうデカくて迫力あるんだね。


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難波八阪神社公式ホームページ
当社(難波八阪神社)の創建年月日など詳しい資料は残っていませんが、社伝によれば古来「難波下の宮」と称し難波一帯の産土神でした。後三条天皇の延久(1069年から1073年)の頃から祇園牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りする古社として世間に知られていました。もとは神仏混淆でしたが、維新後、神仏分離により寺は廃絶し、明治5年(1872年)に郷社となりました。現在のご本殿は、昭和49年(1974年)5月に完成。毎年1月の第3日曜日に行われている綱引神事は当社の御祭神、素盞嗚尊(すさのをのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、民衆の困苦を除かれた故事に基づき始められたと言われています。「摂津名所図絵」や「摂津名所図会大成」にも紹介されています。また、平成13年(2001年)には、大阪市で初めての無形民俗文化財に指定されました。

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    by DoraNeko

    Wikipediaから引用
    難波八阪神社(なんばやさかじんじゃ)とは大阪府大阪市浪速区にある神社。よく「難波八坂神社」と書かれているが、これは誤字である。仁徳天皇の時代、この付近一帯に疫病がはやりだしたところ、牛頭天王が現れたのでこれを祀ったのが当社の始まりとされる。それ以来「難波下宮」と呼ばれており、難波一帯の産土神となった。延久年間(1069年 – 1073年)の頃には牛頭天王を祀った神社として有名であり、神宮寺の他十二坊の塔頭が並んでいた。明治維新後の、神仏分離により寺は廃絶し、1872年(明治5年)に郷社となった。1945年(昭和20年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲で社殿が焼失した。現在の本殿は1974年(昭和49年)5月に完成した。本殿と同じく、1974年5月に完成した獅子殿という素盞嗚尊の荒魂を祀る大きな獅子の頭の形をした舞台があることで有名である。

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