かつての大分交通宇佐参宮線を走った26号蒸気機関車。





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words=’豊後高田駅から日豊本線の宇佐駅を経て、宇佐神宮のある宇佐八幡駅までを結んでおり、1965年(昭和40年)に廃止され廃線となった大分交通宇佐参宮線の26号蒸気機関車が保存展示されております。元は国鉄10形蒸気機関車で、大分交通に払い下げられたものでございますね。大分交通の経営するバス路線と競合するため廃止されたってことのようですが、現在ではそのバス路線もわずかな本数の運行にとどまっております。残っていれば宇佐駅からのアクセスも、豊後高田へのアクセスも便利だったのにな~。勿体ないっすね。 ‘
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コメント一覧 (1件)

  • Wikipediaから引用
    宇佐参宮線(うささんぐうせん)は、かつて大分県豊後高田市の豊後高田駅から日本国有鉄道(国鉄)日豊本線の宇佐駅を経て、宇佐神宮のある宇佐八幡駅までを結んでいた大分交通の鉄道路線である。元々、日豊本線から宇佐神宮へのアクセス路線として建設され、大分交通の経営するバス路線と競合するため廃止された。東方面へ更に延伸し、国東線と共に国東半島一周鉄道を形成する計画もあったが、実現せず終わった。宇佐神宮のある宇佐郡宇佐町と国東半島の玄関口にあたる西国東郡高田町を国鉄宇佐駅へ鉄道で結ぶべく地元有志により1911年(明治44年)1月に鉄道敷設申請が提出された。翌1912年(明治45年)5月鉄道免許状が下付されたものの、資金調達が捗らす延長申請が繰り返された。ようやく1914年(大正3年)3月になり宇佐参宮鉄道が設立され、資本金を15万円とし、初代社長に水之江浩が就任した。同年12月工事施工の認可が下りると、1916年(大正5年)3月豊後高田-宇佐-宇佐八幡間が開通した。業績は好調で車両、施設など増強し、真玉及び拝田への路線延長を計画した。1924年(大正13年)に豊後高田より中真玉村までの延長敷設免許を取得したが、地元の豊後高田町が中間駅となることに反対の声を上げ、また桂川の架橋費用の問題もあり1928年(昭和3年)免許失効となる。また宇佐八幡駅より日出生鉄道(豊州鉄道→大分交通豊州線)拝田駅までの延長敷設免許を1928年(昭和3年)に取得すると用地取得、工事着手と順調に進んだが、終点拝田駅の共同使用について豊州鉄道が不利になるとして難色を示したため協議にならず1930年(昭和5年)鉄道大臣に裁定方を申請するが決着はつかなかった。そうしている間に不況の影響で収益は悪化しついに1935年(昭和10年)に計画は放棄され西国東郡と宇佐郡を結ぶ計画は消滅した。

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